大分県災害データアーカイブ|大分大学減災・復興デザイン教育研究センター(CERD) NHK大分放送局 × 大分大学減災
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被害【大正12年6月台風第3号】玖珠郡東飯田村 松木川

|災害番号:002750|固有コード:00275047

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市町村
九重町

概要(被害)

19、20日両日の洪水で玖珠郡における被害は東飯田村が最も甚だしく、松木川に沿う日出生台行き県道はほとんどが破壊され、川沿いの田地は洗い流されて荒涼を極めている。特に松木川に架かる橋梁6ヶ所が流失したが、幸いに人畜の死傷はなかった。この地方はおととしの洪水に大被害を被り、ようやく復旧したばかりのところへ今回の出水をみたことで人心兢々としている。

東飯田方面では松木川の沿岸橋梁が全部流失して、交通途絶の有様だ。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面、6月24日朝刊8面】

災害概要

大分県下の総被害(山国川氾濫:下毛郡死傷者5人、中津町浸水家屋560戸、漁船流失6隻。玖珠川増水:森町浸水家屋160戸。恵良川増水:木材2000本流失。八坂川、高山川増水:速見郡中山香村、浸水家屋60戸、水田流失100余町歩。花月川、三隈川増水:日田町浸水家屋20戸、同流失2戸、死者1人。)15日来の長雨により、県西部及び、北部の河川は増水氾濫。(大分合同新聞記事)

【出典:大分県災害誌 資料篇(1952)】

【大正12年6月台風第3号】

【出典:1923/06/22 6:00の天気図】

災害データ

最低気圧
987.1hPa
最低気圧観測地
-
最低気圧観測日時
1923/6/22 5:30
最大風速の風向
南西
最大風速
10.4メートル
最大風速の観測地
大分
最大風速の観測日時
1923/6/22 5:40
累積最大降水量
532ミリ
累積最大降水量観測地
野上
日最大降水量
234.8ミリ
日最大降水量観測地
最大日降水量の観測年月日
1923/6/19
最大1時間降水量
-
最大1時間降水量の観測地
-
最大1時間降水量の観測年月日時間
-
死者・行方不明者数
1人
負傷者数
-
住家全壊/全焼数
2戸(棟)
住家半壊/半焼数
戸(棟)
住家一部損壊数
-
床上浸水数
-
床下浸水数
800戸(棟)
道路被害 ※事前通行規制は除く
-
橋梁被害
-
山・崖崩れ
-
被害総額
-

主な被害

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連日の雨に水量が増している森川は19日朝来篠つくような大雨が来襲したため、午後7時には出水が最も甚だしく、特に上流は川も道路も一面の濁流となり、小野、鬼丸の2橋はたちまち流失したため、寺々の鐘を乱打し、消防夫は川沿いの家々に馳せ、家財を片付け、材木の始末をするなどなかなかの大騒ぎとなった。森水電は各所に200燭の電灯を転じ便宜を与えた。

【出典:大分新聞 大正12年6月24日朝刊8面】

橋が流失した。

【出典:大分新聞 大正12年6月24日朝刊8面】

20日朝来の大雨で高並川が氾濫して増水1丈5尺余に及び、山の崩壊、田畑の流失ならびに堰提破壊はもちろん、道路や橋梁が流失したため、交通はまったくの杜絶の姿となったが、被害額は目下見込みが立っていない。

【出典:大分新聞 大正12年6月24日朝刊8面】

24日午後6時25分頃、豊州線の上岡~直見駅間(小倉起点126マイル71チェーン)の簾山隧道南方右側切り取りの土砂、岩石350坪ほどが俄然崩壊、線路を閉鎖した。そのため同日午後8時50分佐伯発下り列車は直見駅手前、同じく重岡発午後9時10分の上り列車は直見駅寄り引き返すのをやむなきに至った。急報によって大分運輸事務所より、武所長以下、笹田運転主任、上田書記、日高営業主任、榎本書記、大分保線事務所より菅野所長および物品掛りが急遽現場に出張。24日夜来佐伯保線区員50名、中津保線区よりの応援工夫20名、人足130名、計200余名が必死となって復旧工事を急いでいる。

崩壊の現場は直見駅構内を距る2,30間、簾山隧道(102尺)を出たところで、線路の埋没域は長さ14間、幅4間、高さ3間で崩壊土砂岩石200坪に達し、これを除けば同時に崩壊してくる部分が150坪ほどあり、差し当たり大量の土砂、岩石は直美駅構内、および簾山隧道側に建築用列車を使用して捨てているが、原因はやはり先日の雨で亀裂が入ったものらしく、26日午前中には多分し復旧できる見込みである。なお列車は依然運転し、現場は徒歩で連絡しているが、徒歩区間は隧道に沿って4町あり、7分を要している。大分保線事務所の山口技手は「直見駅の付近は一帯に土質が粗悪で過般崩壊したのも直見駅をわずかに距った神ノ原間でした、営業線で300坪も崩壊したことなどはあまり他に例がないことです」と語っていた。

【出典:大分新聞 大正12年6月26日朝刊4面】

速見郡八坂地方では19日午後激しい雷雨があり、閃々囂々、夜中もなお降りしきり、翌20日も引き続きの豪雨に数日前から水かさが増している八坂川は刻々と増水し、午後2時には約2丈、明治41年度のの大洪水の記憶を呼び起こして一時は人心恟々としたが、3時半ごろより減水し始め夕刻には半減したが、なお雨はやまず、浸水家屋は40棟、損害額は不明だが、人畜に死傷はなかった。

【出典:大分新聞 大正12年6月24日朝刊8面】

20日午前9時頃から安岐川が増水したため水田に氾濫し、植え付けの七島藺、稲をはじめその他山林、道路の被害が少なくなかったが、同日午後3時頃から減水したので村民は愁眉を開いた。

【出典:大分新聞 大正12年6月24日朝刊8面】

20日朝の激しい雷雨で午前11時頃大出水となり、みるみるうちに濁水がいよいよ加わり、流失物は多く、小麦の刈干を流すもの、田植えから帰って自宅が浸水しているのを初めて知るものがいたり、道路、田畑、農作物の被害は著しく、ことに今市区は被害が一層著しく、道路はさながら川のようで、浸水家屋は10数戸に及び、消防青年団会員は出動して警戒につとめ人心恟々たるものがあったが、午後4時に至り、漸次減水し、一同愁眉を開いた。また民家の近くに落雷があったが幸いにも被害はなかった。

【出典:大分新聞 大正12年6月24日朝刊8面】

増水は6尺、橋梁の流失は成吉橋ひとつ。人畜には被害はなかった。

【出典:大分新聞 大正12年6月24日朝刊8面】

玖珠郡野上村地方は19日夕刻よりにわかに豪雨となり、刻々と増水。中村から約5丁後方を通じている右田井路の堤防が切れ、中村方面へ全部流出し、浸水家屋は100戸あった。一昨年の大洪水を思い、人心恟々たる有様だった。なお、人畜に死傷はなかった。

【出典:大分新聞 大正12年6月24日朝刊8面】

安岐川は19日夜来より降雨が引き続き、20日朝からの雷雨で午前10時頃より刻一刻と増水し、12時には1丈5尺の増水となったため、消防組青年会員は総出となり浸水家屋およびに港、橋に流木が流れかかるのを必死になり防御したため、港や橋は無事だったが、永年橋はついに流失した。

【出典:大分新聞 大正12年6月24日朝刊8面】

七島藺の移植後数日のことで、苗の流失かつ水稲移植当時で苗揚げを行っていたため、大半が流失の見込みだが人畜に被害はなかった。<浸水家屋 70余戸、浸水田畑 120町歩、流失田 2町歩>安岐町内では県費支弁の復旧工事は約2万円くらいの見込み。

【出典:大分新聞 大正12年6月24日朝刊8面】

護岸の流失が数か所あり、大きかったものは馬場区の1か所で、復旧費8000円くらいの見込み。

【出典:大分新聞 大正12年6月24日朝刊8面】

料理屋「辨天ずし」の軒角の鬼瓦や屋根瓦が防風のため吹き倒された。

【出典:大分新聞 大正12年6月23日朝刊7面】

住宅の屋根板の一部が吹き飛ばされたが、さしたる損害はなかった。

【出典:大分新聞 大正12年6月23日朝刊7面】

小野自転車店の裏側にあるトタン葺きの材木倉庫長さ6間くらいは暴風のために倒壊した。

【出典:大分新聞 大正12年6月23日朝刊7面】

立石川に沿う中村平野は被害がことに甚だしく、当局で実地調査の必要があると柴田肘税務署長は、前田直税務課長を従え、郡長代理の有永技手とともに22日に同村に出張し、村当局者ならびに地主側にも被害地の実地調査を行った。詳細は不明であるものの、苗が植え付け不能になったものが24,5町あるとのこと。

【出典:大分新聞 大正12年6月24日朝刊8面】

70町以上濁流に洗われた。

【出典:大分新聞 大正12年6月23日朝刊7面】

70代の男性が自宅で寝ていたところ、大雨のため家屋が潰れ、その下敷きとなったところ、付近の人が発見し、救助した。

【出典:大分新聞 大正12年6月23日朝刊7面】

八幡村役場の西側に目下建築中にかかる埋め立て敷地、高さ3間、長さ2間あまりの石垣が崩壊し、柞原参道に突き出し、一時往来止となっていたが、22日正午頃復旧した。なお同所西側の石垣に亀裂を生じ、往来が危険になっている。

【出典:大分新聞 大正12年6月23日朝刊7面】

女学校西側の柳の木(6尺廻り)は21日夜来の風に吹き倒され、そのため電話線敷線を切断するとともに、同校西側の板塀約20間は柳のために押し倒され、損害約350円。

【出典:大分新聞 大正12年6月23日朝刊7面】

大分川の下流、明磧橋付近は21日より22日朝までの最高増水約4尺にして他に何らの被害なし。

【出典:大分新聞 大正12年6月23日朝刊7面】

金吉川の堤防が4間決壊し、田畑が2反7畝流失、2町歩が浸水した。

【出典:大分新聞 大正12年6月23日朝刊7面】

住民所有の松材1万才が流失した。

【出典:大分新聞 大正12年6月23日朝刊7面】

山国川の支流の琴川1丈あまり増水して織元に架設している洞鳴橋(土橋)が流失した。

【出典:大分新聞 大正12年6月23日朝刊7面】

地上2尺以上の濁流で浸水田畑40町歩。

【出典:大分新聞 大正12年6月23日朝刊7面】

1戸が倒壊、損害は80円くらい。

【出典:大分新聞 大正12年6月23日朝刊4面】

下毛郡山中部における19,20両日間の豪雨は数十年来稀有の大雨で、柿山村字深谷付近の県道は58間が決壊して車馬不通となった。

【出典:大分新聞 大正12年6月23日朝刊7面】

鴫良より栗見に通じる板橋が流失した。

【出典:大分新聞 大正12年6月23日朝刊7面】

鴫良より龍源寺に至るコンクリート橋が流失し、損害は約2000円に達した。

【出典:大分新聞 大正12年6月23日朝刊7面】

馬原、中川両村内2,3ヶ所架設中の橋梁は橋脚ならびに足場、そのほか橋材等が流失し、損害が多いはずだが出水のため交通が途絶、詳細を知ることができない。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊7面】

銭渕橋において増水10尺、三隈川筋における流失木材の損害は、おそらく甚大になる見込み。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊7面】

花月川は一新橋において増水8尺、同方面の被害は少ない。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊7面】

19日夜来の豪雨で20日午後1時頃、耶馬溪鉄道真坂・野路間の線路に故障を生じ、一時運転不能となったが、応急修理の結果、ただちに復旧した。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊7面】

高田町地方は19日夕刻よりの豪雨に雷鳴さえ加わり、20日未明まで降り続き、坪2石以上の降雨量を見たが、20日も依然止まずについに桂川は近々30分間くらいの間に、1丈4尺以上の増水を見るにいたり、橋の架設工事で使用中の機械および小舟が流失したのをはじめとして沿岸に積載ていた石炭、石灰、材木など多量流失、損害多額の見込み。

浸水家屋1戸を出した。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊7面、6月23日朝刊4面】

山移川に沿った堤防約8間、および11間の2ヶ所が決壊したため同村の住民が保有する田地2反5畝、3畝分がそれぞれ荒蕪地になった。

住民所有の木材、セメント(価格約800円)を流失した。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面、朝刊7面】

中津地方における19日夜来の大雷雨は20日朝より土砂降りの豪雨となり山国川は1丈5尺以上増水し、一方ならず憂慮された。これと同時に中津市外豊田村鐘紡支店付近一帯はほとんど泥の海と化し、浸水家屋200戸以上に達し、活動常設賓館付近数十戸は濁流のため、床下を洗われ刻々危険の状態となったので、豊田村では警鐘を乱打して警戒に努め、中津豊田消防組合はほとんど全部出動して万一を警戒し、非常な混雑を極めた。幸いに午後4時頃よりやや小降りとなり、濁流も漸次減退したが、いつ出水するかわからないので、同町付近は徹宵警戒を続けた。21日は朝から小雨模様で一様に愁眉を開いたが、下毛郡平坦部では大部分田植えしていないため、苗代の被害はほとんどなかった。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊7面】

三隈川10尺、花月川8尺の洪水を見、大肥川と三隈川の合流点、大肥橋の際の日田・添田線道路の石垣50坪余りが崩壊した。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊7面】

馬原、中川両村内2,3ヶ所架設中の橋梁は橋脚ならびに足場、そのほか橋材等が流失し、損害が多いはずだが出水のため交通が途絶、詳細を知ることができない。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊7面】

大字櫛来より伊美村に通じる県道中のトンネルが一部崩壊したため一時人馬の交通が途絶したがまもなく復旧した。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

八坂川は20日午後2時、増水1丈8尺となり、そのため友清部落、長瀬部落付近は床上浸水家屋50余戸におよび、堤防が決壊して八坂村および杵築町の一部の水田100余町歩はさながら泥海と化したが、挿秧(田植え)前で被害は軽い見込みである。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

道路が5間崩壊し、そのほか2ヶ所山崩れがあった。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

トンネル入り口が約2間くらい連日の豪雨のために俄然崩壊し、一時は交通途絶の有様となったが、竹田町竹三豊南両自動車の運転手、10数名が必死になって復旧に務めたので19日は人馬の通行も安全となったが、目下泥濘約5寸くらいの深さで極めて通行困難である。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

県道の橋が流失した。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

一昨年以上の被害で道路が洗いつくされたものや田畑の流失が甚だしかった。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

100余軒が全部浸水した。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

大渡より緒方に連絡する大野川に架設中の橋が18日の豪雨のため俄然崩壊し、全部押し流された。損害約300円くらい。従業中の朝鮮人は万が一を恐れて従業を拒んでいる。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

宇佐郡では20日午前7時より正午ごろまでの間に豪雨あり、荒瀬橋付近では増水が2丈となり、村県道および里道4ヶ所が崩壊。橋梁が2箇所流失した。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

浸水家屋21戸、水車1戸が流失した。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

安心院村では深見川の増水1丈、津房川の増水7尺に達し、木裳部落では16戸が浸水した。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

水田約1町が浸水した。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

東国東郡安岐川は20日朝来の豪雨により、同日正午ごろ俄然送水1丈3尺余におよび、濁流氾濫して西安岐町小川通り、小川橋その他、沿岸一帯危険状態に陥り、各消防組総出で警戒に努めた結果、幸いに人畜にも家屋にも損害はなかったが、田畑等の被害は甚大で、同日判明の分だけでも、20余町歩におよんだ。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

橋が流失した。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

隧道2箇所崩壊、交通途絶。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

中央部が崩落した。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

二日市御越線の橋が流失した。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

前津江村に住む30代の男性が20日午前10時頃、熊本県道の萬々金橋を通行中、にわかの増水で橋梁とともに押し流され、生死不明となった。同時に同村の浸水家屋20戸に達し、空き家2戸を流失。なおこのため大山村~前津江村間の交通は途絶した。

新築の家屋1棟が流失、その他損害があるはずだが交通途絶のため詳細不明。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面、朝刊7面】

橋が流失した。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

橋が流失した。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

橋が崩落した。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

女子畑発電所取入口における増水は19日夜9時頃には1丈2尺の増水を示していたが翌20日午前8時には1丈2尺5寸に達したが、いまだに被害の情報は入っていない。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊4面】

19日午後7時半ごろより増水し、河原に積んであった杉材、長さ1丈3,4尺のもの約2000本流失、同下流の堤防約20間決壊し、その付近の田畑およそ1町歩荒廃、下段(下旦か)道路4間崩壊、恵良川の土橋2個が流失した。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊4面】

浸水家屋80戸に及び、濁流は天井裏まで達し、交通はまったく途絶したのでわずかに2階に避難する惨状を呈し、青年団消防組は早くより出動警戒をなし一般避難民へ昼食の炊き出しを行った。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

中央が曲折して車馬の通行が途絶した。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

本堂は最近シロアリの侵食にあったので、工費3万4千円余りをもって改修の計画を立て、目下内務省当局に申請中であるが、19日午後その天井約2間四方が屋根とともに俄然崩落した。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊4面】

駅水館の下に係留中の伊徳丸は木炭170俵あまりを積み込んだまま19日夜、激流のため押し流された。折柄、長洲港に碇泊中の県水産課の豊洋丸に数十名の漁夫を載せて同夜12時より流失船捜査のため同海面沖合に出動したが、暗夜のため捜査困難なりしも判明せる分は、流失5隻のうち3隻は長洲町西濱浦に漂着、2隻が行方不明である。

20日未明にいたって伊徳丸と漁船1隻はいずれも沖合で発見された。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊4面、22日 朝刊4面】

駅館川は16日来の豪雨にて、刻々増水を示していたが、19日午後9時半ごろより俄然近年にない大洪水となり、長洲町付近の増水は1丈を示し、同海岸に係留している帆船、ならびに漁船は激流のため押し流され、海岸は深夜多数の漁夫が出動し、一大混雑を呈した。

字下町海岸の係留船は、漁夫ならびに下町青年団の手で流失防止に努めたるも、ついに漁船大小5隻が流失し、その中の1隻が、他のサワラ船に乗って引き上げるべく作業をしていたところ、船もろとも濁流中に押し流されたが、辛うじて同町東山海岸三芳浜に漕ぎ着き無事であった。またもう1隻も乗船したまま流失したが行方不明。

行方不明を気遣われていた長洲町の男性は付近に繋留してあった船に乗っていたので無事であった。また、漁船3隻は押し流されたまま20日午後までには発見されなかった。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊4面、22日 朝刊4面】

中津地方は16日夜来の降雨で、山国川の増水は1丈以上に達し、出水被害を気遣われていたが、17日から小雨となり、水量も減じていたところ19日夜来また大雷雨となり数カ所に落雷したが幸いに被害はなかった。20日は朝からさらに土砂降りが続き、同日正午前の雨量は1坪面2石5斗におよび、市内上博多町付近の低地では床下の浸水5,60戸に達した。山国川の増水は柿坂付近が1丈5尺、下流山国橋は1丈におよび物凄い光景を呈している。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊4面】

井路の決壊により家屋60戸が床下まで浸水したが流失は免れた。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊4面】

電柱その他、所々に落雷があったが人畜の被害はなかった。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊7面】

60代の女性が、大字山香にある同家所有の水田見回りのため家族3名とともに現場に至り、その女性一人が他の者より一足先に帰途についたが、自宅付近の小川を渡る際、誤って濁流に押し流され行方不明となったので村民総出で所在捜査に従事した。

死体は21日午前11時頃、封戸村の青森新田で発見された。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊7面、6月23日 朝刊4面】

応急修理によって開通の見込がついた豊州線は午後5時頃に至り、杵築、中山香間の赤松隧道が4坪ほど崩壊し、全通を気遣われたが、まもなく復旧した。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊7面】

豊州本線宇佐・立石間の立石隧道内は出水のため、20日午前11時半に枕木が全部浮かび上がり、門司方面穹拱(編集者注:アーチ)付近の線路上にも右壁土砂2坪崩落した。大分駅発上り午前11時30分旅客列車をはじめ以後の各列車は中山香より先、まったく不通になっていたが、午後1時に至り立石隧道はようやく復旧した。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊4面】

豊州本線立石・中山香間(小倉起点54マイル40チェーン付近)が20間にわたり軌条面まで浸水、目下立石駅長以下、立石保線区員は総出となって警戒中。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊4面】

20日午前中、犬飼線牧口・緒方間の切り取り箇所の土砂1坪ほどが降雨のため線路上に崩落したが、すぐに復旧し、列車の運行には何ら支障なかった。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊7面】

19日夜来の降雨により20日朝より午後にかけて寄藻川の増水甚だしく、ために同支流の土橋が2箇所崩落し、堤防もまた決壊して、水田等の被害は少なからず、宇佐駅前は床下浸水家屋10戸におよび、同所都製材所の材木約200円くらいを流失したが、そのほかの被害も多い見込みである。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊7面】

19日午後3時半ごろから臼杵地方は非常な雷鳴があり、民家の物置に落雷。柱3本を黒焦げにした。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊7面】

九水送電線の電柱に落雷があった。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊7面】

両川村県道に目下架設中の橋が流失した。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊7面】

駅館川の増水が甚だしく、三又付近は1丈5尺におよび、県道に架された白岩橋は危険となり午前11時半交通を禁止した。

夕刻減水とともに復旧した。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊7面、 6月22日 朝刊4面】

駅館村法鏡寺付近の増水が1丈3尺余となり、国道に架けられた瀬社橋もまた危険となったので、四日市署は午後0時10分通行を禁止し、目下警戒中。今のところ人畜に死傷なし。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊7面】

日出生線は円座・二日市間にある池の堤防が決壊し、田畑を洗い、線路を損じ一時同線は不通になった。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊7面】

水車場が流失した。(院内、東院内で2戸)

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊7面】

16日夜来の雨は坪当たり2石の豪雨であり、18日は朝来又々非常な豪雨となり山国川耶馬溪柿坂付近は約1丈5尺増水し、下流の中津河口も7,8尺の増水を示している。苗代時であるために沿流一帯大なる被害はないが、このまま2,3日も降れば出水は免れぬ模様である。

【出典:大分新聞 大正12年6月19日 朝刊7面】

連日の雨は20日朝に至って豪雨になり、宇佐郡地方の各河川は1丈2,3尺以上の増水を見、橋梁の流失も多数あった。中でも龍王村鳥越付近の増水は甚だしく、氾濫して田地を洗い、付近の家屋50余戸に浸水して、一般の憂慮ひとかたならず、青年団、在郷軍人総出で警戒した。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊7面】

安心院・津房間に架設している橋が流失した。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊7面】

両川村県道に目下架設中の橋が流失した。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊7面】

玖珠郡にては19日午後6時頃より降雨激しく同8時、玖珠川の増水6尺、森川の増水1丈1尺に達し、ために森町の浸水家屋は床上10戸、床下80戸におよんだ。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊4面】

速見郡中山香方面にては19日午後4時より猛烈な雷鳴とともに降り始めた雨は同夜より20日にかけていよいよ豪雨と変わり、各河川の増水夥しく、中にも八坂、立石両川に沿う一帯の平野は泥海と化し、浸水家屋や家屋の流失、橋梁の墜落があるなど危険刻々と迫った。
折から、中山香・立石間の鉄道線路が崩壊し、午前11時50分中山香発上り812列車より不通となり、以後の各列車の乗客は全部同駅に下車するなど、一時は非常な混雑を呈した。一方、保線課においては別府方面より応援を求め、極力復旧工事に尽くしたため、約5時間後の午後4時半にようやく開通した。近年稀に見る大洪水も20日午後5時に雨が小降りとなるにつれ、ようやく減水となり21日朝に至り土の色を見られるようになった。一時泥海と化した水田は2,3日前までに植え付けを終了したままのため、その被害は特に甚だしく、石垣の崩壊稲苗はもちろん、作土畦まで全部流失し、わずか4,5時間以内に農村の生命を頼む水田は見る影もない哀れな川原となった。このような危害を受けたのは古来未曾有の惨事と、農民の悲嘆はひとかたならず、目下損害価格被害地等調査中である。

中山香村は浸水家屋床上80余戸、床下約120戸、同村字下市より佐田村に通じる道路破損、上市道路幅4間、長さ3間崩壊、車馬通行途絶、中山香駅前の橋および釘泉橋流失、田約30町浸水。

【出典:大分新聞 大正12年6月22日 朝刊4面】

日田郡では19日午後10時頃より、玖珠川の上流、中川村湯山付近の増水1丈3尺、三芳村小渕橋付近8尺となり、20日午前10時頃小渕橋付近は1丈に増水し、橋は危険に瀕したが被害はない。

小渕橋においては1丈2尺の増水を示し、上流より流失の橋材その他流材のため該橋危険となり、土木管区員が数名が出張し、河野三芳村駐在巡査と協力、地方青年団および消防夫が出動して、橋面に大石を運搬し、重しとして辛うじて流失は免れたものの、橋脚を洗い隙かしたため、橋面に1,2尺のくぼみが生じ、車馬の通行が困難になった。

【出典:大分新聞 大正12年6月21日 朝刊4面、6月22日 朝刊7面】

玖珠川の増水で床下浸水10戸を出したが、人畜、道路、橋梁には被害はなかった。

野上村地方は19日夕刻より大雨となり、玖珠川の上流出水7尺に及び100余戸の浸水家屋を出し目下警戒中。

野上村村道、里道は約100間が崩壊した。

【出典:大分新聞 大正12年6月18日 朝刊3面 6月21日 朝刊7面 6月21日 朝刊4面】

高田町付近の桂川は増水が7尺に達し、御玉橋(仮橋)が流失したが、人畜に異常はなかった。

【出典:大分新聞 大正12年6月18日 朝刊3面】

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