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被害【平成2年6月大雨(豊肥水害)】大野郡三重町向野 向野橋

|災害番号:009900|固有コード:00990008

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市町村
豊後大野市

概要(被害)

【平成2年6月大雨(豊肥水害)】大野川が午前中から増水し、橋が流出した。

災害概要

朝鮮半島に停滞していた梅雨前線は6月28日にゆっくり南下をはじめ、29日から30日にかけて九州中部に停滞した。7月1日、前線は九州南部まで一時南下したが、2日には低気圧が前線上を東進し対馬海峡を進んだため梅雨前線は九州北部まで北上した。県下は、この梅雨前線に向かって太平洋高気圧からの暖かい湿った空気が流れ込み、前線の活動が活発となったため局地的に雷を伴う強い雨が降った。特に7月2日9時には、低気圧が対馬海峡付近に達し、梅雨前線の活動が非常に活発となったため、竹田・直入地方を中心に日降水量が300ミリを超える大雨となった。3日は、梅雨前線も九州南部まで南下し県下の雨も午後にはあがった。次に雨の降り方をみる。29日1時過ぎごろから県下全域で雨が降り始め、午後には小康状態となった。29日の日降水量は釈迦岳で88ミリに達し、その他の観測所では20~60ミリであった。30日には、明け方を中心に全域で5~15ミリの雨が降った。その後一時雨は止んだが、夕方から再び降り始めた弱い雨は7月1日も終日降り続いた。2日は、五島の南西海上に強い雨域が現れ、低気圧の東進に伴い、長崎県で激しい雨が降り始めた。その後、激しい雨は九州北部と中部の広い範囲に広がり、県下では8時に日田、伏木、釈迦岳で1時間30ミリを超える強雨が降り出した。また、熊本県阿蘇地方で激しい雨を降らせた雨域は大分県南西部に移動し、竹田の9時、10時、11時の1時間降水量はそれぞれ28ミリ、60ミリ、41ミリを記録した。このため竹田地域気象観測所の近くを流れる玉来川が氾濫し、観測施設が水没、流失し11時以降の観測が不能となった。また、犬飼町の犬飼地域気象観測所は、大野川の増水した濁流が観測所一帯に流れ込み水没したため15時以降の観測が不能となった。2日の日降水量は、久住で421ミリ(気象協会の夏山気象観測によるデータ)、長湯359ミリ(建設省データ)、竹田306ミリ(建設省データ)、釈迦岳313ミリと県の南西部で300ミリを超えたのをはじめ、県下で最も雨量の少なかった国東半島でも100ミリに近い雨となった。竹田地方を中心に大きな被害をもたらした雨は、2日の16時ごろまで局地的に1時間20~30ミリの雨が降り続いたが、次第に弱まり3日の昼前には止んだ。6月29日から7月3日の総降水量の多い所は、釈迦岳で517ミリとなったほか、日本気象協会の久住観測所では632ミリ、建設省長湯観測所、建設省竹田観測所ではそれぞれ525ミリ、473ミリなどであった。

7月1日13時ごろ竹田市入田の小高野地区で長さ150m、幅50mにわたって土砂崩れが発生し、木造平屋建て住宅1棟が3,000㎡の土砂に埋まり一家3名が死亡した。竹田市では29日から雨が降り続き、1日の災害発生時までの総雨量は160mmに達し、地盤も緩んでいたと見られるが、災害現場には建設中の農道工事で出た土砂が捨てられ、斜面にたまっていた。(2日毎日新聞)7月2日、県下の雨は明け方から夕方まえにかけて激しく降り続き、豊肥地区を中心に災害が続出した。竹田市では市内を流れる稲葉川、玉来川が氾濫し、女性1人が濁流に流され死亡したほか、荻町では土砂崩れで1人が死亡した。また、川の増水や橋の流失などで、県西部の国道・県道などの幹線道路は通行不能となったほか、JRの列車も運転ストップが続き、交通網が寸断された。停電、断水も相次ぎ住民の生活はマヒした。2日の状況を新聞記事から抜粋したものを次に示す。(竹田市)2日午前10時過ぎ、市内の中心部を流れる稲葉川、玉来川が警戒水位を超え、水は堤防を越え市街地にあふれ出した。濁流は民家に津波のように押し寄せ、床下・床上浸水が相次ぎ、流された大木、コンクリート片や車が道路に散乱した。夕方から水が引き始めたが、停電、断水が続いており生活機能は完全にマヒ状態、住民2千人以上が避難している。(大野郡地方)大野郡内を流れる大野川は午前中から徐々に増水、上流から大木なども流れ、三重町の向野橋が13時半に、千歳村の原田橋が13時40分ごろ、_15時10分ごろには清川村と大野町境の大野橋が流失したのをはじめ、大野町宇対瀬地区で17戸が床上・床下浸水し58人が避難した。(日田地方)土砂崩れや道路の決壊などが相次ぎ、上津江村では土石流が発生し民家1棟が全壊した。(杵築市)杵築市内を流れる八坂川も増水、一部で水田が冠水するなどの被害が出た。(大分地方)大南地区の白滝橋下の大野川も警戒水位の7mを超え、15時には8.5mまで達した。大木が、屋根が、木船が流れ、橋脚にぶつかってくだけ散る。同橋下流の左岸河川敷にある大野川ゴルフ場のグリーンの姿は全く消え去った。(JR)豊肥線では緒方~朝地駅間の第一大野川鉄橋、玉来~豊後竹田駅間の玉来川鉄橋の2つが流失した。県内に鉄道が開通して以来、川の氾濫で鉄橋が流失したのは初めて。(停電)竹田市の竹田変電所、大野町の沈堕発電所、犬飼町の大野川変電所、緒方町の軸丸発電所の構内に浸水、2日正午過ぎから竹田市、直入郡の全域、三重町、千歳村、朝地町の一部を除く大野郡全域の約34,500戸が停電した。17時には野津・犬飼町の一部で、20時ごろには竹田市の一部でも送電が可能となり、22時までの停電戸数は18,900戸に減った。(電話パンク)全国から親族や知人などの安否を気遣う電話が殺到したため、NTT竹田、三重両営業所管内の電話回線(35,000個)がパンク状態になり、10時35分過ぎから一日中かかりにくい状況が続いた。(学校)2日、県内の小・中・高校では豊肥地区を中心に午前中や午後、早めに授業を切り上げて児童生徒を帰宅させる学校が相次いだ。(以上、7月3日付大分合同新聞朝刊)(別府湾や伊予灘冲に大量の流木)3日タ方、安岐町冲12Kmの伊予灘一帯に長さ10m前後の流木が大量に浮いているのを杵築市漁協所属の漁船が見つけた。流木が大きいため事故に結びつく危険性が高いとみて、漁を止め流木の一部を回収し杵築市の美濃崎漁港に引き揚げた。7月11日、大野川などの河川から海に流れ出した流木群は豊後水道、伊予灘などに漂流、別府湾だけでも千数百本が滞留している。また、各河川から流出した大量の流木は南下し佐伯湾一帯に漂流し、漁船が出漁できないなどの被害が出ている。このため漁船約100隻を動員して9日から10日にかけて回収作業を行ない、直径20〜50cmで長さ10m前後の流木1000本を回収した。(災害救助法等の適用)大分県では2日11時30分、被害の集中した竹田市と朝地町に災害救助法の適用を決めた。また、三重、大野、荻、久住、直入各町と上津江村の5町1村に県単独の「小災害に対する救助内規」を適用した。(参考)平成2年7月2日以降、不通となっていたJR豊肥線の緒方~宮地駅間は、同年7月16日から代行バスによる運行を行っていたが、平成3年10月19日、1年3か月振りに全線が復旧開通した。

【出典:大分県災異誌 第5編(昭和56年~平成2年)(1991.12)】

災害データ

最低気圧
-
最低気圧観測地
-
最低気圧観測日時
-
最大風速の風向
-
最大風速
-
最大風速の観測地
-
最大風速の観測日時
-
累積最大降水量
632ミリ
累積最大降水量観測地
久住(気象協会)
日最大降水量
421ミリ
日最大降水量観測地
久住(気象協会)
最大日降水量の観測年月日
1990/7/2
最大1時間降水量
-
最大1時間降水量の観測地
宮砥(建設省)
最大1時間降水量の観測年月日時間
1990/7/2 12:00
死者・行方不明者数
5人
負傷者数
64人
住家全壊/全焼数
65戸(棟)
住家半壊/半焼数
84戸(棟)
住家一部損壊数
94戸(棟)
床上浸水数
451戸(棟)
床下浸水数
484戸(棟)
道路被害 ※事前通行規制は除く
1659か所
橋梁被害
99か所
山・崖崩れ
36か所
被害総額
64,392,233 千円

主な被害

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【平成2年6月大雨(豊肥水害)】碑文
 当区は大野川左岸に位置する水田地帯で、近年は施設園芸を導入し、農業経営の安定向上に努めていた矢先の平成二年七月二日梅雨前線豪雨による未曽有の大水害が発生、さらに昭和井路決壊により耕地はもとより家屋の七十%以上の床上浸水と、瀬畑裏より西瀬裏から和田に通じる帯状の百八十一筆の農地は壊滅、個人の所有地が判明できぬ砂礫の山となり茫然自失の状態で離農の声が出る状況であった
 幸に国の激甚指定を受け国庫補助九十五%で受益者負担五%に対し更に三重町として耕地二・五%、施設で三・〇%の特別補助措置を講ずるなど復旧意欲を喚起、県企業局等、町内外から物心両面に亘る激励と、国県町並びに関係各位のご指導を経て再起を期し、三カ年の歳月と多大な事業費を投入、圃場整備型復旧で四十筆の整然とした美田が完成した
 また、大野川河川敷の大拡巾と共に護岸工事と併せ河床の整備等、巨費を投入、大規模改修工事が完成する
 この事業の竣工に当り、多額の助成と卓越せる施工に感謝の意を表すると共に、歴史的災害と復旧の概要を後世に伝え、当区発展の礎とするためここに刻する
 
 平成五年九月二日
 災害復旧竣工記念行事
 実行委員長 渡辺 孝

大野郡三重町西泉 西原神社 災害復旧記念碑

【平成2年6月大雨(豊肥水害)】大野川などの河川から海に流れ出した流木が豊後水道、伊予灘などに漂流した。

【平成2年6月大雨(豊肥水害)】大野川などの河川から海に流れ出した流木が豊後水道、伊予灘などに漂流した。

すぐそばを流れている矢倉川がはんらん。学校にいた児童、生徒31人と教職員25人は鉄筋2階建ての校舎2階に避難した。またたく間に2階部分まで濁流が迫ってきたため、窓から大声で救助を求めた。たまたま付近を警戒していた消防団員や近所の人たちが気づき、学校から約30メートル離れた高台の民家へたどり着き、そこからロープやホースを校舎の2階に投げるなどの懸命の救助作業。何回か失敗した後、やっと校舎2階の窓にロープが届き、くくりつけられたロープをたどってゴムボートを3隻が救出へ。こうして低学年の児童から2人ずつゴムボートで救出され、近くの南部小学校体育館に全員収容された。

【出典:大分合同新聞 1990年7月3日朝刊19面】

【平成2年6月大雨(豊肥水害)】梅雨前線の停滞による大雨のため、白滝橋下の大野川も警戒水位の7メートルを超え、15時には8.5メートルまで達した。大木が、屋根が、木船が流れ、橋脚にぶつかってくだけ散った。

【平成2年6月大雨(豊肥水害)】各河川から流出した大量の流木は南下し佐伯湾一帯に漂流し、漁船が出漁できないなどの被害が出ている。このため漁船約100隻を動員して9日から10日にかけて回収作業を行ない、直径20〜50センチで長さ10メートル前後の流木1000本を回収した。

【平成2年6月大雨(豊肥水害)】3日タ方、安岐町沖12キロメートルの伊予灘一帯に、長さ10メートル前後の流木が大量に浮いているのを杵築市漁協所属の漁船が見つけた。流木が大きいため事故に結びつく危険性が高いとみて、漁を止め流木の一部を回収し杵築市の美濃崎漁港に引き揚げた。

【平成2年6月大雨(豊肥水害)】大雨のため、別府湾だけでも千数百本の流木が滞留している。

【平成2年6月大雨(豊肥水害)】大野川が午前中から増水し、橋が流出した。

【平成2年6月大雨(豊肥水害)】大雨のため構内が浸水した。

【平成2年6月大雨(豊肥水害)】大雨のため流失。平成2年7月2日以降、不通となっていたJR豊肥線の緒方~宮地駅間は、同年7月16日から代行バスによる運行を行っていたが、平成3年10月19日、1年3か月振りに全線が復旧開通した。

【平成2年6月大雨(豊肥水害)】大雨のため構内が浸水した。

【平成2年6月大雨(豊肥水害)】17戸が床上、床下浸水し58人が避難した。

【平成2年6月大雨(豊肥水害)】大野川が午前中から増水し、橋が流出した。

【平成2年6月大雨(豊肥水害)】大雨のため構内が浸水した。

【平成2年6月大雨(豊肥水害)】市内を流れる稲葉川、玉来川が氾濫し、女性1人が濁流に流され死亡した。市内の中心部を流れる稲葉川、玉来川が警戒水位を超え、水は堤防を越え市街地にあふれ出した。濁流は民家に津波のように押し寄せ、床下・床上浸水が相次ぎ、流された大木、コンクリート片や車が道路に散乱した。夕方から水が引き始めたが、停電、断水が続いており生活機能は完全にマヒ状態、住民2千人以上が避難した。大分県は2日11時30分、災害救助法の適用を決めた。

【平成2年6月大雨(豊肥水害)】長さ150メートル、幅50メートルにわたって土砂崩れが発生し、木造平屋建て住宅1棟が3000立方メートルの土砂に埋まり一家3人が死亡した。竹田市では29日から雨が降り続き、1日の災害発生時までの総雨量は160ミリに達し、地盤も緩んでいたと見られるが、災害現場には建設中の農道工事で出た土砂が捨てられ、斜面にたまっていた。

【平成2年6月大雨(豊肥水害)】白滝橋下流の左岸河川敷にある大野川ゴルフ場のグリーンは大野川の増水ですっかり水没した。

【平成2年6月大雨(豊肥水害)】大雨のため流失。平成2年7月2日以降、不通となっていたJR豊肥線の緒方~宮地駅間は、同年7月16日から代行バスによる運行を行っていたが、平成3年10月19日、1年3か月振りに全線が復旧開通した。

【平成2年6月大雨(豊肥水害)】大雨のため構内が浸水した。

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