被害【昭和18年7月台風第12号】西国東郡西都甲村長岩屋
|災害番号:004800|固有コード:00480032
- 市町村
- 豊後高田市
概要(被害)
井堰が長さ3間(約5.4メートル)2か所が決壊した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月23日朝刊3面】
災害概要
大分県下の総被害(死者8人、傷者6人、家屋全潰30戸、同半潰16戸、同流失11戸、同浸水床上694戸、同浸水床下1,865戸、堤防決潰36件、同破損3件、道路決潰13件、同埋没21件、橋梁流失51件、同破損5件、稲田の被害2,088町歩、同冠水1,614町歩、同損失41町歩、同埋没72町歩、畑の被害186町歩、同損失8町歩、同埋没3町歩、漁船の損失20隻、肥料損失160俵、木材損失182,650才、米損失650俵、麦損失49俵、馬圧死2頭、同溺死1頭、豚死亡60頭)(大分合同新聞記事)
【出典:大分県災害誌 資料篇(1952)】
【出典:1943/07/24 6:00の天気図】
災害データ
- 最低気圧
- 999.9hPa
- 最低気圧観測地
- -
- 最低気圧観測日時
- 1943/7/24 15:00
- 最大風速の風向
- 西
- 最大風速
- 5.8メートル
- 最大風速の観測地
- 大分
- 最大風速の観測日時
- 1943/7/22 2:00
- 累積最大降水量
- 902ミリ
- 累積最大降水量観測地
- 直見
- 日最大降水量
- 376.5ミリ
- 日最大降水量観測地
- 直見
- 最大日降水量の観測年月日
- 1943/7/23
- 最大1時間降水量
- -
- 最大1時間降水量の観測地
- 大分
- 最大1時間降水量の観測年月日時間
- -
- 死者・行方不明者数
- 8人
- 負傷者数
- -
- 住家全壊/全焼数
- 30戸(棟)
- 住家半壊/半焼数
- 16戸(棟)
- 住家一部損壊数
- -
- 床上浸水数
- 694戸(棟)
- 床下浸水数
- 1865戸(棟)
- 道路被害 ※事前通行規制は除く
- 34か所
- 橋梁被害
- 56か所
- 山・崖崩れ
- -
- 被害総額
- -
主な被害
マップを見る住宅1棟(2世帯)が倒壊した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月23日朝刊3面】
高木川の仮橋が損失した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月23日朝刊3面】
橋が流失した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月23日朝刊3面】
家屋の消失が3戸あった。
【出典:大分合同新聞 1943年7月24日夕刊2面】
橋が長さ3メートル、幅1メートル決壊した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月24日夕刊2面】
新田村と百枝村の境界付近の築堤が沈下したため上下線の各列車が三重、牧口両駅から折り返し運転を行った。
【出典:大分合同新聞 1943年7月24日夕刊2面】
住宅1棟が倒壊した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月23日朝刊3面】
崖の崩壊により天満神社が倒壊した。また住家1棟が倒壊した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
住家1棟が全壊した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
住家が全壊したところがあった。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
港が37間(約67.2メートル)あまりが決壊した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月24日夕刊2面】
草葺きの住宅1棟が倒壊した(損害1500円)。
【出典:大分合同新聞 1943年7月24日夕刊2面】
木佐上川の堤防が決壊し水田が10町歩埋没し県道は長さ5間(約9メートル)2か所画決壊した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
橋が損失した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
日吉川堤防が5か所、25間(約45.4メートル)にわたり決壊した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
がけ崩れで住宅2戸が全壊、2戸が半壊、このため50台の女性が軽傷を負った。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
堤防2か所が20間(3.6メートル)決壊し、水田が5町歩損失した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
人家倒壊1戸(損害3000円)、半壊2戸(1000円)田の埋没3町歩の被害があった。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
国民学校の奉安殿が倒壊した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
堤防が約6間(約10.9メートル)決壊した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
橋の中央部の10間(18.1メートル)が破損した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
橋のうち20間(36メートル)が破損した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
鉄道トンネル入口の200メートルの土砂が崩壊した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
右岸寄り10メートルが傾いて通行不能になった。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
家屋の損害が40戸あった。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
住宅裏手の崖が崩壊。2階建ての住宅が巻き込まれ30代の女性が圧死。ほか3人が負傷した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
鉄道線路上手にある家屋が倒壊し、就寝中の10代の女性が圧死した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
奈良山池の堤防が長さ5間(約9メートル)にわたり決壊。水田5反が埋没した。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
ため池の堤防が約20間(約36.3メートル)にわたり決壊。水田1町歩が埋没。33000円の損害が出た。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
大分県立第一高等女学校4年生の56人は夏期錬成会で大分市田ノ浦の万寿寺の禅堂に分宿中だったが、土砂崩れのため3人の教諭が宿舎としていた病僧寮(離れの別館という記述もあり)が埋没し倒壊。警察官や消防団が救助作業を行ったが30日に遺体で発見された。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】
住宅裏手の崖が崩壊。10代の女性が圧死した。家屋の被害は400円だった。
【出典:大分合同新聞 1943年7月25日夕刊2面】