被害【昭和32年9月台風第10号(ベス台風)】南海部郡弥生村上小倉
|災害番号:006350|固有コード:00635012
- 市町村
- 佐伯市
概要(被害)
台風による被害の写真
【出典:写真提供:大分県公文書館】
災害概要
台風10号は8月28日グアム島の東方海上で発生した。この台風が名瀬付近の海上に達した5日には県下でも、ときどきにわか雨が降り、県南で20~50ミリ、中部で10~20ミリ、北部と西部では5ミリ内外の雨量を観測した。台風は5日21時すぎにはしだいに向きを北東にかえ、6日18時ごろ大隈半島に上陸し、宮崎県を通って7日の早朝には勢力を弱めながら佐伯の南方を通過して豊後水道に抜け北東進した。
県下の暴風雨は6日の夕方から7日の正午ごろまでで、由布岳では6日2時~3時の1時間に91ミリという雨量を観測した。総降水量はとくに大分川流域に多く大洪水が起り被害が大きかった。大分川分流の裏川では7日2時ごろ、大野川下流の鶴崎地方では2時半ごろにはんらんし、浸水や冠水の被害が多かった。また川添地区で道路決壊、津久見市千怒で山くずれのため住宅1むねが全壊するなどの被害があった。
【出典:大分県災異誌 第2編(1966)】
【出典:1957/9/7 9:00の天気図】
災害データ
- 最低気圧
- 985.7hPa
- 最低気圧観測地
- -
- 最低気圧観測日時
- 1957/9/7 5:29
- 最大風速の風向
- 東
- 最大風速
- 22メートル
- 最大風速の観測地
- 佐賀関
- 最大風速の観測日時
- 1957/9/7 4:00
- 累積最大降水量
- 396ミリ
- 累積最大降水量観測地
- 今市
- 日最大降水量
- 367ミリ
- 日最大降水量観測地
- 今市
- 最大日降水量の観測年月日
- 1957/9/6
- 最大1時間降水量
- -
- 最大1時間降水量の観測地
- 大分
- 最大1時間降水量の観測年月日時間
- 1957/9/7 2:20
- 死者・行方不明者数
- 8人
- 負傷者数
- -
- 住家全壊/全焼数
- 66戸(棟)
- 住家半壊/半焼数
- 36戸(棟)
- 住家一部損壊数
- 55戸(棟)
- 床上浸水数
- 1443戸(棟)
- 床下浸水数
- 11793戸(棟)
- 道路被害 ※事前通行規制は除く
- 214か所
- 橋梁被害
- 37か所
- 山・崖崩れ
- 150か所
- 被害総額
- -
主な被害
マップを見るがけ崩れが発生。納屋が巻き込まれ付近にいた30代の男性が頭を負傷した。
【出典:大分合同新聞 1957年9月7日夕刊3面】
防空壕の入り口が崩れたため、その防空壕で暮らしていた家族3人が生き埋めになったが、近所の人たちにより助け出された。
【出典:大分合同新聞 1957年9月8日朝刊3面】
3本の橋脚のうち1本を残して流失した。
【出典:大分合同新聞 1957年9月7日夕刊1面】
大分川が氾濫、付近の20戸が平屋の天井近くまで浸水した。子どもと大人の男性あわせて20人ほどが濁流の中に孤立。救出作業が行われた。
【出典:大分合同新聞 1957年9月7日夕刊3面】
高さ10メートル、幅7メートルにわたりがけ崩れが発生。一家9人が巻き込まれ、7人長男によって救出。2人が逃げ遅れ生き埋めになったが、消防団や警察により救出された。50代の男性が右足を骨折した。
【出典:大分合同新聞 1957年9月7日夕刊3面】
大分川が増水、土木会社の飯場3戸が流出し、40代の作業員が押し流され行方不明になった。
【出典:大分合同新聞 1957年9月7日夕刊3面】
大分川の上流の阿蘇野川が氾濫。平屋2棟(2世帯・6人)が流され、全員が行方不明になった。その後9日午後5時40分頃、60代の男性が大分市春日浦で遺体となって発見された。
【出典:大分合同新聞 1957年9月8日朝刊3面】
がけ崩れのため、2階建ての住宅が巻き込まれ倒れた。夫婦2人が寝ていたが自力ではい出してけがはなかった。
【出典:大分合同新聞 1957年9月8日夕刊3面】
7日午前2時半ごろ大野川の溢流堤を水が越え、長さ60メートルの橋が流失した。
【出典:大分合同新聞 1957年9月7日夕刊3面】
山崩れが発生。住宅1棟が全壊する被害があった。住人は水防団員として出動し、家族は避難して無事だった。
【出典:大分合同新聞 1957年9月7日夕刊3面】
大分川の濁流が堤防を越え、また付近の水田に降った雨が集落に流れ込み、およそ100戸が全戸床上浸水した。
【出典:大分合同新聞 1957年9月7日夕刊3面】