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被害【昭和21年12月昭和南海地震】別府市松原町

|災害番号:004880|固有コード:00488009

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市町村
別府市

概要(被害)

瓦葺き2階建ての家が倒壊、家族3人が下敷きになったが無事救出された。

【出典:大分合同新聞 1946年12月21日朝刊2面】

災害概要

震源は南海道中、21日午前4時20分、大分県下強震、大分県下の被害(死者4人、負傷9人、家屋全潰37戸、同半潰95戸) 大分県下の海岸では21日午前8時前後に高潮襲来し人々を面食わした。またこの地震により、別府温泉地帯の温泉に多少の変動があった。(大分合同新聞記事)

このほか、屋根瓦が落ちたり、壁が剥がれ落ちたり、亀裂ができたところ、石垣の崩壊や、石碑が倒れるなどの被害が各地にあり、山間部では小さい山崩れ、温泉地ではところどころ小規模ながら、道路の亀裂がみられた。

【出典:大分県災害誌 資料篇(1952)】

(1)震度分布
強震域は大野川、大分川流域、鶴見岳の北部及び県南東部沿岸地域で、その他はほとんど中震程度の区域を占め、弱震区域は県西部の筑後川上流の一部であり、大分県としては明治以来かつてない稀にみる地震であった。
(2)地震による被害
なおこの外屋根瓦の落ちた所、壁の剥落や亀裂を生じたもの、石垣の崩壊石碑の倒伏などが各地にあり、山間部では小さい山崩れ、温泉地ではところどころ小規模ながら道路の亀裂がみられた。
(3)津波
県南東部沿岸では、多少津波の現象を見受けられたが、別に報告もないので大した被害はなかったように思われる。佐伯湾ではその日8時頃(発震時からみて、時刻に疑いあり)津波が押しよせ約1.30メートルの高潮を示し周期は、20分で、これが約1時半くり返し継続した。また臼杵湾でも約1メートルの高潮であった。
(4)発光現象
区内各地よりの回答25通のうち、地震と同時あるいは地震中に一回または数回発光現象を見た所が20ヶ所で全体の80パーセントを示し、その方向はだいたい東から南にかけてであるが、その中、南東の方向が多く、その色は赤または橙色が10ヶ所、青または青白色が5ヶ所他は不明となっている。形状は電光のようなものが多く中には探照灯の光のようなものもあり、日出前の光象、火事の際の火明りのようなものもあり、また電光ようのものが明滅したという所もあった。地震当時は快晴であったから電光でないことはわかるが、発震直後10分位電灯が消えた所も多かった。
(5)地鳴
区内各地よりの回答25通のうち、地震直前または同時に1回ないし数回地鳴を聞いた所が18ヶ所で、全回の72パーセントを示し、山間部では風声あるいは砲声のように海岸地方では海鳴のように聞えたという所が多かった。
(6)余震
飯田では21日中震1、軽震2、微震20、計23回、22日軽震4、微震1、計5回、23日軽震14、微震7、計21回で合計49回となりその後は不明であるが、急減したようである。大分では資料がないのではっきりしないが、これと同じ位と思われ、その他各地でも数回ないし十数回の余震を感じたようである。
(7)温泉の異常および井水の変化
a、別府市内12ヶ所の温泉調査の結果を綜合すると、同市内温泉の変化は一時的の異常地区、湧出量泉温増加地区、泉温下降地区および変化のない地区など地域的に区別されるが、この中近年湧出の衰えかけていた比較的老齢と思われる浜脇地区、永石地区、田ノ湯地区などの温泉に変化があって一時的ながら湧出量の増加や泉温上昇のものが多く、また近年堀り抜かれた海門寺、亀川地区などの新しい温泉には何等の異状もみられなかった。
b、由布院村の北部乙丸方面では、地震直後湧出量が半減し泉温の下降したものあるいは堀抜きが全く閉塞されたものもあった。由布岳南西麓の湯坪方面でも、かなり古い噴泉で全く閉塞したものが数ヶ所あった。また同村南部の高地帯石松方面では、道路の南側にそうてほぼ東西へ巾約1糎で、約800米に及ぶ地裂を生じ、この地割は温泉の筋にそうてだいたい人家の床下を貫通しているため相当の被害を生じ、ために附近の温泉にも増減があり、湧出量の減少したものや全く閉塞したものもある代りに中には湧出し始め床下の割目から音を立てて噴出するものがあった。また井戸水が止った所もある。
c、県南西部の長湯村温泉地では、地震前の湧出量の2倍に増した所が多く減量したのは1ヶ所であった。なおこの附近の湧水は二・三日間は茶色に変じていた。
なお津房村では地震後3日間、附近の湧水は乳色に変り、大野川下流域の犬飼では河水が濁った。
(8)その他
由布院村内では、前述のように所々に小地裂を生じたが、この地裂にそうて一部鉄道線路で2~3寸沈下した所もあった。別府市内の十万地獄では、粘土上に築かれた石垣で、幅30センチメートル位の丸石を使用してあったが、地震のため北へ3センチメートル、東へ0.3センチメートルだけ移動した跡が明瞭に見受けられた。
 なお由布岳南西麓の湯坪附近の墓地で割に新しい石碑が倒れていたが、この台は三段になっていて、高さ78糎、碑石の大きさは24糎角、長さ1米13糎のものである。倒れた方向は220度で台石は僅かにNEへずれていた。これから加速度を推算すると約300ガルになるが、ややすわりのよくないものとみて200ガルとみられるので、この地震の加速は大分附近ではだいたい200~300ガルと思われた。

【出典:大分県災害誌(調査編)】

災害データ

地震発生時間
04:19
マグニチュード
8M
震源の深さ
24キロ
最大震度
5
最大震度観測地
大分市長浜(旧)
津波有無
あり
最大津波の観測地(県内)
佐伯
最大津波の高さ(県内)
2.3
死者・行方不明者数
4人
負傷者数
-
住家全壊/全焼数
36戸(棟)
住家半壊/半焼数
91戸(棟)
住家一部損壊数
-
床上浸水数
-
床下浸水数
-
道路被害 ※事前通行規制は除く
8か所
橋梁被害
1か所
山・崖崩れ
-
被害総額
-

主な被害

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地震の前より湧出量のが倍になったところが多く、減量したのは1ヶ所だった。付近の湧水は2〜3日間は茶色に変色していた。

地震直後湧出量が半減し、泉温が下降したり、堀抜きが全く閉塞したところもあった。

道路の南側に沿ってほぼ東西へ幅が約1センチ、約800メートルにおよぶ地割れが発生した。この地割は温泉の筋に沿って人家の床下を貫通しているため、相当の被害があり、そのために付近の温泉にも増減があった。湧出量の減少したところや、全く閉塞したところがある代りに、中には湧出し始め、床下の割目から音を立てて噴出したところもあった。また井戸水が止ったところもある。

かなり古い噴泉で、完全に閉塞したところが数ヶ所あった。

温泉に変化があり、一時的に湧出量の増加(1分間に12リットル→27リットル)があった。

【出典:大分合同新聞 1946年12月21日朝刊2面】

温泉に変化があり、一時的に湧出量の増加や泉温が上昇したところが多かった。

温泉に変化があり、枯れていた泉源の復活や、一時的に湧出量の増加や減少、泉温が上昇したところがあった。

【出典:大分合同新聞 1946年12月21日朝刊2面】

家屋の下敷きになり60代の女性が死亡した。

【出典:大分合同新聞 1946年12月21日朝刊2面】

30代の女性と50代の男性が家屋の下敷きになりいずれも右手に重傷を負った。

【出典:大分合同新聞 1946年12月21日朝刊2面】

付近一帯にかけて全壊家屋、瓦の脱落、風呂場崩壊の被害があった。

【出典:大分合同新聞 1946年12月21日朝刊2面】

橋の下に係留中だった木材(約500石/時価170万円)が小津波のために流失した。

【出典:大分合同新聞 1946年12月21日朝刊2面】

住家1戸、非住家20戸が倒壊、港の築堤2か所22メートルが陥没、道路決壊、山崩れなどがあった。

【出典:大分合同新聞 1946年12月21日朝刊2面】

被害は県内で最もひどく、昨年の洪水で土台や柱がゆがんでいる家が多いため全町にわたって壁が落ち柱が傾いたものが無数にある。駅前付近、本通りの寺司町、高田村に通じる国宗町あたりに倒壊家屋が多かった。

【出典:大分合同新聞 1946年12月21日朝刊2面】

全壊家屋が7棟あり、家族8人が家の下敷きになったところもあったが隣保班総出で掘り出し、30分後に救出され無事だった。

【出典:大分合同新聞 1946年12月21日朝刊2面】

全壊した屋根に押しつぶされて10代の男性が死亡した。

【出典:大分合同新聞 1946年12月21日朝刊2面】

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