被害【昭和39年9月台風第20号】佐伯市晞干
|災害番号:007080|固有コード:00708012
- 市町村
- 佐伯市
概要(被害)
国道217号の晞干トンネルの佐伯市寄りが45メートルに渡り決壊、通行不能になった。
【出典:大分合同新聞 1964年9月25日朝刊2面】
災害概要
19日マリアナ群島付近に発生した台風20号は25日0時ごろ豊後水道の海岸から約20km沖合を通過して25日1時ごろ四国に上陸した。大分市で雨が連続的に降り出したのは24日6時ごろからである。県下の雨は17時ごろまでは主として地形性の雨で中部以南の中央部に多く降ったが雨勢はさして強くはなかった。その後風雨は急速に強まり、暴風雨の最も強烈だったのは22時から23時前後であり、北東風の最強時が県下の満潮時と一致したために、別府湾の高潮や、南部海岸の波浪による被害が大きくなった。
【出典:大分県災異誌 第3編(1975)】
【出典:1964/9/24 21:00の天気図】
災害データ
- 最低気圧
- 981hPa
- 最低気圧観測地
- -
- 最低気圧観測日時
- 1964/9/24 23:20
- 最大風速の風向
- -
- 最大風速
- 28.4メートル
- 最大風速の観測地
- 別府市(京大物理学研究所)
- 最大風速の観測日時
- 1964/9/25 0:00
- 累積最大降水量
- -
- 累積最大降水量観測地
- -
- 日最大降水量
- 374ミリ
- 日最大降水量観測地
- 津久見
- 最大日降水量の観測年月日
- 1964/9/24
- 最大1時間降水量
- -
- 最大1時間降水量の観測地
- 大分
- 最大1時間降水量の観測年月日時間
- 1964/9/24 22:05
- 死者・行方不明者数
- 3人
- 負傷者数
- -
- 住家全壊/全焼数
- 20戸(棟)
- 住家半壊/半焼数
- 66戸(棟)
- 住家一部損壊数
- 187戸(棟)
- 床上浸水数
- 1239戸(棟)
- 床下浸水数
- 4765戸(棟)
- 道路被害 ※事前通行規制は除く
- 142か所
- 橋梁被害
- 14か所
- 山・崖崩れ
- 103か所
- 被害総額
- 2,596,070 千円
主な被害
マップを見る木造平屋建て瓦ぶき住宅が倒れ、この住宅に住む家族5人が下敷きになったが駆けつけた佐伯署員と消防団の救出作業により20分後無事に救出された。
【出典:大分合同新聞 1964年9月25日朝刊9面】
近くの酒利川が増水し床上浸水。町営住宅に住む5世帯20人が近くの高台の民家に避難した。
【出典:大分合同新聞 1964年9月25日朝刊9面】
植松集落50戸と畑集落の20戸(合計250人)が近くの中崎川の増水で床上浸水。近くの高台の安全な家に避難した。
【出典:大分合同新聞 1964年9月25日朝刊9面】
台風のため、近くを流れる長谷尾井路が決壊。住宅の中に土砂が流れ込んだ。家族7人にけがはなかった。
【出典:大分合同新聞 1964年9月25日朝刊9面】
別府港に入港した関西汽船の「こがね丸」(2000トン)が桟橋に着岸した直後、船と岸壁をつないであったロープが切れ、乗客を乗せたまま接岸できなくなった。「こがね丸」はいかりを下ろしていたため流されずに済んだが、高波と風のため何度も桟橋にぶつかり、一部を壊し、さらに関西汽船別府支店の建物にも穴を開け、船も前の部分を破損した。およそ1時間後に再接岸した。
【出典:大分合同新聞 1964年9月24日夕刊3面】
3階建ての鉄筋アパートの屋上に建てていた倉庫が吹き飛び、隣の家の屋根に落ちた。一部が壊れたが、住民にけがはなかった。
【出典:大分合同新聞 1964年9月25日朝刊9面】
鉄骨造りの倉庫、集荷場の一部が倒壊。この倉庫は1963年8月の台風9号でも倒壊し、新築したばかりだった。
【出典:大分合同新聞 1964年9月25日朝刊9面】
40代の男性が運転するオートバイが打たれ、転んで右足や胸に全治2週間のけがを負った。別大国道を警戒中のパトカーが、白木電停の前で道路に倒れ動けずに助けを求めているところを発見したもの。
【出典:大分合同新聞 1964年9月25日朝刊9面】
国道57号線にかかる串戸橋に流木などが引っかかり、増水した水が国道にあふれだした。このため近くの住宅2戸の床上まで水が流れ込み、家族は地元消防団の協力で付近の民家に避難した。
【出典:大分合同新聞 1964年9月25日朝刊9面】
高潮で海岸部一帯から水が入り込み、永石通りの深いところで水深1メートルと大人でも腰が水に浸かる深さにまでなった。
【出典:大分合同新聞 1964年9月25日朝刊9面】
高潮で水が入り込み、御成町の電車通りでは80センチから1メートルほどと大人でも腰が水に浸かる深さにまでなった。このため電車通りは車が通行不能になり、大波と水の深さで徒歩通行もできなくなった。御成町方面から流れ込んだ水により秋葉通り入り口から向浜付近まで浸水した。電車通りは板切れや丸太、自動車のタイヤがすごい勢いで流れるほどだった。
【出典:大分合同新聞 1964年9月25日朝刊9面】
高潮で海岸部一帯から水が入り込み、水深70センチと大人でも腰が水に浸かる深さにまでなった。
【出典:大分合同新聞 1964年9月25日朝刊9面】
別府市道山ノ手ー山腹線のうち、ラクテンチ〜観光ホテル間の道路の一部が幅7メートル、長さ31メートル、深さ80センチに渡って陥没。通行不能になった。この地区一帯は以前から地すべり地帯として市でも警戒していた。
【出典:大分合同新聞 1964年9月26日朝刊9面】
近くを流れる三重川の支流が氾濫、田んぼの中の一軒家が床上浸水し孤立しているのを警戒中の駐在所巡査が発見。三重署員が駆けつけ道路から約20メートルロープを張り、2階に避難していた家族4人を救出した。
【出典:大分合同新聞 1964年9月25日夕刊5面】
港内に避難していた機帆船(210トン)の船体が傷み、午前0時ごろ浸水を始めた。排水ポンプで必死の排水を続けていたが、沈没。岸壁の近くだったので乗組員は全員無事に上陸した。
【出典:大分合同新聞 1964年9月25日朝刊3面】
30代の男性が危険になった自宅の屋根を補強中に、風に吹き飛ばされ約4メートル下の道路に落ち両手首を折って全治40日のけがを負った。
【出典:大分合同新聞 1964年9月25日夕刊5面】
裏山のタブノキの地上5メートルにある太い枝が折れ、木造瓦ぶき2階建ての漁業倉庫に倒れかかり半壊した。木には空洞ができていて風が吹くと危険な状態だった。
【出典:大分合同新聞 1964年9月26日朝刊9面】
60代の男性が自宅のトタンぶきの屋根に登って補修作業をしていたところ屋根ごと吹き飛ばされ、頭などを打って死亡した。
【出典:大分合同新聞 1964年9月25日夕刊5面】
住宅裏の杉山が長さ20メートル、幅7メートルにわたって崩れ落ち、約200立方メートルの土砂が木造平屋建て草ぶきの住宅と木造平屋建て草ぶきの馬屋を押しつぶした。一家4人が巻き込まれ、近所の人や消防団によって2人は救助されたが、40代の男性と小学5年生の男子児童が死亡した。
【出典:大分合同新聞 1964年9月25日夕刊5面】
40代の男性が自宅の草ぶきの屋根に登り修理を行っていたところ吹き飛ばされ、約4メートル下の路地に落ちた。右足に全治1週間のけがを負った。
【出典:大分合同新聞 1964年9月25日朝刊9面】