大分県災害データアーカイブ|大分大学減災・復興デザイン教育研究センター(CERD) NHK大分放送局 × 大分大学減災
復興デザイン教育研究センター(CERD)

被害【昭和38年8月台風第9号】大分市白木

|災害番号:006990|固有コード:00699009

災害の詳細を見る →

市町村
大分市

概要(被害)

20代の男性が運転する軽自動車が波をかぶり、あわててハンドルを切ったところ、前から来た乗用車に接触した。互いにけがはなかった。

【出典:大分合同新聞 1963年8月9日朝刊3面】

災害概要

マリアナ諸島西方海上に発生した熱帯低気圧は、7月30日台風9号(Bess)と命名された。9日夜明け前から本県は暴風雨圏内に入った。9日15時前後には三重町のすぐ南西方をはげしい風雨を伴って通過した。本県が暴風雨圏内にさらされた時間は24時間以上に達する長時間であったため、雨量は各地とも多く、県南部と北部や、日田方面は100ミリ前後に達し県下に多大の爪跡を残して去った。

台風9号がゆっくり本県を縦断したため県下全域に災害が発生した。特に、この台風の経路の東側にあたった海岸ぞいの地域においては、12時間に及ぶ豪雨と高潮のため、浸水家屋が続出し、このため2市(別府市・佐伯市)に災害救助法が適用されたほか農作物、土木施設等に甚大な被害を受けた。県内では死者4人、行方不明1人、重傷者1人などの被害が出た。被害総額は35億円あまりに達した。

【出典:大分県災異誌 第3編(1975)】

【昭和38年8月台風第9号】

【出典:1963/8/9 21:00の天気図】

災害データ

最低気圧
979.9hPa
最低気圧観測地
-
最低気圧観測日時
1963/8/9 17:06
最大風速の風向
北東
最大風速
17.2メートル
最大風速の観測地
大分
最大風速の観測日時
1963/8/9 14:00
累積最大降水量
745ミリ
累積最大降水量観測地
由布岳
日最大降水量
529ミリ
日最大降水量観測地
由布岳
最大日降水量の観測年月日
1963/8/9
最大1時間降水量
-
最大1時間降水量の観測地
大分
最大1時間降水量の観測年月日時間
1963/8/9 13:59
死者・行方不明者数
5人
負傷者数
22人
住家全壊/全焼数
77戸(棟)
住家半壊/半焼数
70戸(棟)
住家一部損壊数
350戸(棟)
床上浸水数
1006戸(棟)
床下浸水数
3901戸(棟)
道路被害 ※事前通行規制は除く
1061か所
橋梁被害
97か所
山・崖崩れ
-
被害総額
3,489,444 千円

主な被害

マップを見る

路久志川が氾濫。10戸が床上浸水し、近くの鶴谷中学校に避難した。

【出典:大分合同新聞 1963年8月9日朝刊3面】

松原町や楠銀天街にも潮が流れ込んだ。商店街まで水が来たのはルース台風以来だという。

【出典:大分合同新聞 1963年8月9日朝刊3面】

防波堤を越えた高潮がどっと館内に侵入。水槽に酸素を送るポンプのモーターが故障し、その上ゴミや丸太が館内に流れ込んだためほとんどの魚類が死んだ。

【出典:大分合同新聞 1963年8月10日朝刊7面】

イギリスの貨物船オーガスト・ムーン号が千怒崎灯台から約15メートルの暗礁に乗り上げた。船は鉄鉱石を積んで広島県因島に向かう途中で、台風を避けるため千怒崎の沖合300メートルに停泊していた。船は同日22時頃に満潮を利用して自力で脱出した。

【出典:大分合同新聞 1963年8月9日朝刊3面】

40代の男性が行方不明になった。夜明けになり警察、消防、家族などが捜索したところ、臼杵市野田の水源地の東50メートルの臼杵川で遺体となって発見された。自動車で帰宅途中、臼杵川が増水で通れなかったため歩いて市内へ向かっていたものと見られている。

【出典:大分合同新聞 1963年8月10日夕刊3面】

下堅田小学校裏の田んぼに雨合羽を着た男性がうつぶせとなって死んでいるのを近所の人が発見した。警察の調べによると、この50代の男性は堅田川が氾濫をし始めたため、勤務先から家へ帰る途中だった。自宅から約500メートル手前の県道で濁流に押し流されたものと見られている。

【出典:大分合同新聞 1963年8月10日夕刊3面】

裏山が地すべりを起こし、木造わらぶき平屋建ての住宅を押しつぶした。家の中には4人がいて下敷きとなったが3人は脱出。2歳の女の子が柱の下敷きとなり両足に全治2週間のけがを負った。

【出典:大分合同新聞 1963年8月10日朝刊7面】

正午過ぎから堅田川が急に増水。下城集落では深さ2メートルほど浸水し、40戸ほとんどの家が床上浸水した。低地では軒先まで浸かるところもあった。汐月、宇山の集落も各40戸も軒下にまで水が押し寄せ孤立。宇山橋が流失し、泥谷集落は陸の孤島になった。写真は佐伯市内で撮影された洪水によって孤立した地区(場所不詳)。

【出典:大分合同新聞 1963年8月10日朝刊7面】

佐伯市下堅田

台風により地盤が緩んでいたため、高さ2メートル、幅3メートルの岩盤が崩れ落ち、真下で井戸を掃除していた60代の男性が右足を挟まれた。20分後に近所の人に助け出されたが右足骨折で全治3ヶ月の重傷を負った。

【出典:大分合同新聞 1963年8月11日朝刊7面】

中学2年生の男子生徒が排水溝に転落し行方不明になった。当時、ホテル裏の突堤で波が打ち上げるところを見ていたところ、高潮で増水しており排水溝に気づかず落ち込んだものと見られている。また9日午前10時頃には20代の男性が高潮を見るために海岸に来たところ、波に足をすくわれ転倒。全治3週間の打撲を負った。

【出典:大分合同新聞 1963年8月10日朝刊7面】

橋付近で50代の女性が急流に押し流され行方不明になった。

【出典:大分合同新聞 1963年8月11日朝刊7面】

海岸部では浸水家屋が続出。昭和26年のルース台風以来の出水被害を受けた。市内の浸水面積は52万平方メートルで最もひどかった地域が浜町から浜脇にかけての海岸部一帯で、浜町、御成町、魚薬町、東仲町、東町にかけて1300戸が床上浸水した。深いところでは水深1メートル以上に達した。写真は別府市浜脇で撮影された家の高さまで打ち寄せる高波。

【出典:大分合同新聞 1963年8月10日朝刊7面】

別府市浜脇

災害一覧に戻る