被害【明治40年9月台風第9号】大分郡大分町/東大分村 舞鶴橋
|災害番号:002520|固有コード:00252005
- 市町村
- 大分市
概要(被害)
大分川の増水が1丈2尺におよび、4戸の浸水家屋があった。
【出典:豊州新報 明治40年9月8日3面】
災害概要
農作物損害甚大。(日本気象災害年表)
【出典:大分県災害誌 資料篇(1952)】
大雨により、朝見川橋が流失する。
【出典:別府歴史年表】
【出典:1907/09/06 14:00、22:00、1907/09/07 6:00の天気図】
災害データ
- 最低気圧
- 987hPa
- 最低気圧観測地
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- 最低気圧観測日時
- 1907/9/7 19:00
- 最大風速の風向
- 北東
- 最大風速
- 12.3メートル
- 最大風速の観測地
- 大分
- 最大風速の観測日時
- 1907/9/7 3:20
- 累積最大降水量
- 529.7ミリ
- 累積最大降水量観測地
- 飯田
- 日最大降水量
- 370.2ミリ
- 日最大降水量観測地
- 飯田
- 最大日降水量の観測年月日
- 1907/9/7
- 最大1時間降水量
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- 最大1時間降水量の観測地
- 大分
- 最大1時間降水量の観測年月日時間
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- 死者・行方不明者数
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- 負傷者数
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- 住家全壊/全焼数
- 戸(棟)
- 住家半壊/半焼数
- 戸(棟)
- 住家一部損壊数
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- 床上浸水数
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- 床下浸水数
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- 道路被害 ※事前通行規制は除く
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- 橋梁被害
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- 山・崖崩れ
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- 被害総額
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主な被害
マップを見る県庁の堀があふれて、松栄神社は孤島のような姿になっていた。
【出典:豊州新報 明治40年9月8日3面】
県庁の堀があふれて、武徳会前の水は膝の上に及んだ。
【出典:豊州新報 明治40年9月8日3面】
鶴橋はほとんど水に浸かる有様で付近の家屋は床上まで浸水した場所もある。
【出典:豊州新報 明治40年9月8日3面】
一昨夜12時に切断し、交通謝絶。増水1丈。
【出典:豊州新報 明治40年9月8日3面】
大分川が出水し、1丈7尺くらいの増水となり明磧橋の道路面と水との距離はおよそ2尺ほどになった。全字34,5戸はいずれも家財を片付けており、明磧橋は危険なため通行ができない。
また、明磧橋の近くが危険なため永興西部および中部消防組を繰り出し警戒中(午前9時)【出典:豊州新報 明治40年9月8日3面】
大字荏隈字上村と賀来村の間は一帯が湖水のようになっていた。
【出典:豊州新報 明治40年9月8日3面】
集落下手の堤防が1箇所破壊したものの道路や橋梁、人畜に影響はなかった。
【出典:豊州新報 明治40年9月8日3面】
沖の浜との交通が断絶し、小舟で往復している。仙石橋付近は腰の部分は水に浸かっている。
【出典:豊州新報 明治40年9月8日3面】
橋の中央に500石と200石積みの船が流れかかり、消防組によって取り壊しを行ったものの、目的を達せず中央部の9間が流失。増水は1丈1尺におよび、町内浸水の模様。
【出典:豊州新報 明治40年9月8日3面】
朝見川の増水が1丈に達し、朝見川橋は破損したものの交通には支障なし。人畜に異状はなかったものの、浸水の箇所があった。
【出典:豊州新報 明治40年9月8日3面】
新電信丸が避難のため別府港に入港の際、停泊中の速吸号と衝突したもの異状はなかった。
【出典:豊州新報 明治40年9月8日3面】
朝見川の堤防が破損し、水勢は別府警察署近くに押し寄せたが、ただちに防御し損害はなかった。
【出典:豊州新報 明治40年9月8日3面】
大分川筋の増水が1丈4尺におよび橋が流失した。
【出典:豊州新報 明治40年9月8日3面】