被害【昭和49年9月台風第18号】大分市要町 大分駅
|災害番号:008360|固有コード:00836007
- 市町村
- 大分市
概要(被害)
日豊線の大分駅以北6か所、以南43か所で、道床の流失や埋没、陥没などが発生した。また構内では線路や電気系統が冠水して、ポイントが動かなくなった。
災害概要
(1) 気象経過
9月2日9時に台湾の東方海上に発生した弱い熱帯低気圧は、ゆっくり東ないし東北東に進み、5日3時には、南大東島付近で台風第18号となった。台風は、次第に進路を北西に変えて進み、6日9時には、名瀬市の南およそ180キロの海上に達した。中心の気圧は980ミリバール、中心の最大風速は、30メートル、25メートル以上の暴風半径は、70キロと小型の並の台風になった。台風は1時間に15キロの速さで北西ないし西北西に進んでいたが、7日9時頃から北々西ないし北に向きを変え、8日3時には名瀬市の北西190キロに達し、北東に向きを変え九州南部に接近し始めた。台風は、速度を速めながら北東に進み、8日19時枕崎のすぐ南西海上に達した。中心気圧は、980ミリバールで最大風速35メートル、25メートル以上の暴風半径90キロとやや発達、20時10分枕崎に上陸した。上陸後は急速に弱まったが、夜半過ぎ延岡市の西方を通り、9日2時〜3時にかけ大分県の南部を通過し、豊後水道に抜け四国に上陸、9日6時には温帯低気圧となった。
(2) 台風の通過に伴う各地の気象変化:
1. 大分地方気象台の観測では、8日19時頃から北東の風が強くなり、風雨の最も強かったのは23時から24時頃で、最大瞬間風速北東の風22.1メートルを観測した。風は、北東から北々東、北西と変わり5時過ぎには弱まった。最大1時間降水量43.0ミリ、最低気圧は9月9日2時10分1001.3ミリバールを記録した。
2. 佐伯市では、風雨の最も強かったのは、8日夜から9日2時頃まで、風向は、北々西から北東に変わった。(順転)
3. 県南部の小野市では、8日22時頃から雨が強くなったが9日2時過ぎには弱まった。風はあまり強くなかった。最大1時間降水量42.0ミリ。
4. 津久見市では、9日3時すぎ南東の風が強かったがのち東になり、3時30分頃から無風状態になった。15〜20分して北の風が強くなった。雨は3時前にほとんど止んだ。
(3) 台風の特性
1. 台風は小型で並の勢力であり、上陸後は衰弱が早く、風雨の継続時間が短かかった。
2. 大分県を東西に横切っていた前線の活動と重なったため県南部を中心に雨量が多かった。多いところは、300〜40ミリ、少ないところでも100ミリをこえた。
【出典:大分県災異誌 第4編(昭和46年~55年)(1981.12)】
風による被害は比較的軽かったものの、集中豪雨的な大雨による崖崩れや、中小河川のはんらんによる災害が目立った。台風が、停滞していた秋雨前線の活動と重なったため、総降水量は県の南部、中部では200ミリ〜400ミリ、沿岸の一部では、470ミリの豪雨に見舞われた。雨は、9日午前0時から3時ごろまでが最も強く、なかでも犬飼町で9日午前3時の3時間雨量は133ミリ、大分が107ミリで被害はこのころから起こっている。がけ崩れなどで大分、竹田、臼杵、佐賀関、野律の各地で死者7人、負傷者17人をだした。
集中豪雨的な大雨で増水した中小河川は、その流域構造が急激に変化した都市の排水に対応できなくて、家屋の流失、床上・床下浸水、田畑の冠水などの災害が生じたまた、道路は動脈の国道10号、210号、197号、の各線がズタズタに寸断された。
国鉄も大分県内の日豊線で、大分駅以北で6か所、以南で43か所、豊肥線46か所、久大線24か所(大分鉄道管理局調べ)で、道床の流失、埋没、陥没等が起こり、とくに、被害の大きかった日豊線の幸崎駅では、1番線から6番線の線路が浮き上がり、2番ホームも10メートルにわたって崩れ、10個のポイントの全部が壊れ、駅の機能を完全に失った。また、大分駅構内でも線路や電気系統が冠水して、ポイントが動かず、大分駅の機能がマヒした。豊肥線、久大線は、10日ようやく運転を始めたが、日豊線大分駅以南の復旧は、13日を目標に作業を進めた。
大分県がまとめた被害総額は、129億5,251万円に達した。大分県は、9日午前2時災害対策本部を設置し、大分市、臼杵市、津久見市、佐賀関町に災害救助法が適用された。
【出典:1974/9/8 21:00の天気図】
災害データ
- 最低気圧
- 1001.3hPa
- 最低気圧観測地
- -
- 最低気圧観測日時
- 1974/9/9 2:10
- 最大風速の風向
- 北北東
- 最大風速
- 19メートル
- 最大風速の観測地
- 大分空港
- 最大風速の観測日時
- 1974/9/9 2:00
- 累積最大降水量
- 472ミリ
- 累積最大降水量観測地
- 津久見
- 日最大降水量
- 405ミリ
- 日最大降水量観測地
- 津久見
- 最大日降水量の観測年月日
- 1974/9/8
- 最大1時間降水量
- -
- 最大1時間降水量の観測地
- 大分
- 最大1時間降水量の観測年月日時間
- 1974/9/9 3:00
- 死者・行方不明者数
- 7人
- 負傷者数
- 22人
- 住家全壊/全焼数
- 25戸(棟)
- 住家半壊/半焼数
- 51戸(棟)
- 住家一部損壊数
- 130戸(棟)
- 床上浸水数
- 2872戸(棟)
- 床下浸水数
- 9338戸(棟)
- 道路被害 ※事前通行規制は除く
- 1485か所
- 橋梁被害
- 38か所
- 山・崖崩れ
- 239か所
- 被害総額
- 12,952,512 千円
主な被害
マップを見る台風のため津守川が氾濫。住宅地に流れ込み床上、床下浸水をする家が出た。
【出典:大分合同新聞 1974年9月9日夕刊7面】
津守川が氾濫。住宅地に流れ込み床上、床下浸水をする家が出た。
【出典:大分合同新聞 1974年9月9日夕刊7面】
寒田川が急に増水。低地の下寒田、鴛野一帯が冠水した。午前3時ごろには約500戸が孤立。特に国道10号線沿いの2軒の住宅は床上浸水したうえに、急流に洗い流されそうになった。
【出典:大分合同新聞 1974年9月9日夕刊7面】
住宅の裏山が崩れ、木造瓦ぶき平屋建ての住宅が全壊した。住んでいた家族6人のうち20代の男性が軽傷を負った。
【出典:大分合同新聞 1974年9月9日夕刊7面】
尼ケ瀬川が増水。地区の十数戸が床上浸水した。
【出典:大分合同新聞 1974年9月10日朝刊9面】
金道川が氾濫。100戸が床上浸水した。
【出典:大分合同新聞 1974年9月10日朝刊9面】
丹生川が氾濫。80戸が床上浸水した。
【出典:大分合同新聞 1974年9月10日朝刊9面】
丹生川が氾濫。70戸が床上浸水、100戸が床下浸水した。
【出典:大分合同新聞 1974年9月10日朝刊9面】
中溝川が氾濫。付近の住宅50戸が床上浸水した。
【出典:大分合同新聞 1974年9月9日朝刊9面】
住宅の裏山が崩れ土砂の一部が住宅に流れ込んだ。このため50代の男性がけがをして病院に運ばれた。
【出典:大分合同新聞 1974年9月9日朝刊9面】
毘沙門川が増水。多数の家が床上浸水した。水はけが悪いため9日午前8時になっても水が引かず、住民は腰まで浸かって後片付けをした。
【出典:大分合同新聞 1974年9月9日夕刊7面】
国道10号線に近い場所では30センチも床上浸水した住宅があった。
【出典:大分合同新聞 1974年9月10日朝刊9面】
市営住宅の裏山が高さ25メートル、幅約30メートルにわたり地すべりを起こし、空き家2棟を含む3棟を押しつぶした。このため一人暮らしの60代の女性が土砂の中から遺体で発見された。
住宅の裏山が崩れ落ち、土砂で家屋が押しつぶされた。家族6人が生き埋めになった。地元消防団により全員が救出されたが、2人が軽いけがを負った。
【出典:大分合同新聞 1974年9月9日朝刊1面】
大道水源地付近の土砂が大量に崩れ落ち、付近の10数戸は家の周囲が約1メートルほど土砂で埋まった。窓ガラスを破り部屋まで流れ込んだ家もあった。住民によると昭和36年10月の豪雨のときも崩れたという。
【出典:大分合同新聞 1974年9月9日朝刊1面】
小猫川上流にある岩屋溜池が決壊、川が氾濫した。駅を含む周辺の約30戸に浸水の被害をもたらしたほか、駅構内では1番線から6番線の線路が浮き上がり、2番ホームは10メートルにわたって崩れ、10個のポイントはすべて壊れ駅の機能を完全に失った。
【出典:大分合同新聞 1974年9月12日朝刊9面】
23戸が床上浸水した。
【出典:大分合同新聞 1974年9月9日夕刊7面】
住宅1棟が全壊した。住人は避難して無事だった。
【出典:大分合同新聞 1974年9月9日夕刊7面】
台風のため、住宅1棟が全壊した。住人は避難して無事だった。
【出典:大分合同新聞 1974年9月9日夕刊7面】
住宅の裏山が崩れ落ち、木造瓦ぶきの2階建ての住宅を押しつぶした。このため1階で寝ていた2人が生き埋めとなり、20代の女性が遺体となって発見された。
【出典:大分合同新聞 1974年9月9日夕刊7面】
住宅の裏山のがけが高さ7メートル、幅10メートルにわたって崩れ落ち、木造瓦ぶきの2階建て住宅を押しつぶした。このため寝室で寝ていた夫婦が倒れた家の下敷きとなった。夫は自力ではい出し無事だったが、50代の妻が柱の下敷きとなり、救助され病院に運ばれたものの全身を強く打ち死亡した。
【出典:大分合同新聞 1974年9月9日夕刊7面】
日鉱エンジニアリングの設計室の裏山2か所で土砂崩れが発生、設計室で作業していた従業員5人が生き埋めとなった。午前5時までに全員が救出されたが、30代の男性が胸を強く打つなどして重傷。ほかの4人も軽いけがをした。
【出典:大分合同新聞 1974年9月9日夕刊7面】
住宅の裏山が高さ13メートル、幅6メートルにわたって崩れ落ち、夫婦が就寝中の部屋に土砂が流れ込んだ。夫は自力で抜け出したが、40代の妻が土砂の下敷きとなり遺体で発見された。
【出典:大分合同新聞 1974年9月9日夕刊7面】
住宅の裏山が崩れ、山側の部屋に寝ていた60代の女性と孫の小学2年生の男子生徒が家の下敷きとなり死亡した。住宅には7人が住んでいたが、残りの5人は自力で逃げ出し無事だった。
【出典:大分合同新聞 1974年9月9日夕刊7面】
久土川の警戒にあたっていた地元消防団の男性が土手から足を踏み外し、川に転落。消防団員や警察の捜索の結果、午前8時20分ごろ、現場から約300メートル下流で遺体で発見された。
【出典:大分合同新聞 1974年9月9日夕刊7面】