被害【平成5年9月台風第13号】大分市下白木
|災害番号:010330|固有コード:01033005
- 市町村
- 大分市
概要(被害)
土砂崩れが発生し一時通行止めになった。
災害概要
台風第13号は、大型で非常に強い勢力を保ち3日16時前に薩摩半島に上陸した。その後、台風は北東に進み22時ごろ佐伯市付近をとおり豊後水道へ抜け、愛媛県八幡浜市を経て広島県に再々上陸した。佐伯市付近を通過する時の気圧は945ヘクトパスカルで中型で強い勢力を保っていた。県下は3日19時ごろから暴風域に入り、4日1時ごろ暴風域を抜けた。沿岸部を中心に風雨が強く、中部や南部で300ミリを越える雨量になった。特に、大分市では、累年第1位の最大1時間降水量(81.5ミリ)、累年第2位の日降水量(41ミリ)、及び累年第3位にあたる最大瞬間風速(37.6メートル)を記録した。
県下の被害総額は856億円(1994/4/27確定 県消防防災踝調べ)
(人的被害)3日、竹田市で緒方川が氾濫し濁流により民家2棟が倒壊・流失し4名が死亡した。この他、大分市では土砂崩れで1名が亡くなるなど3日21時から23時にかけ相次いで人的被害が発生し、県下の死者・行方不明は7名となった。
(交通障害)JR豊肥線では緒方町で鉄橋が流失したほか、県内のJR各線は路床の流失、土砂崩れなどにより寸断された。豊肥線の完全復旧は平成6年5月となった。
(農業被害)県下の農作物被害は、水稲の冠水・倒伏被害の他、ナシなどの落下で被害面積は22,734haにおよび農作物被害は38億円にのぼった。また、農地の流失等の農地被害は1074haにおよんだ。(1993,11,15現在県農政部調べ)
(浸水被害)台風接近時の強雨と満潮時が重なったため、大分市や臼杵巿・佐伯市では小河川や側溝の水が溢れ、床上浸水・床下浸水が発生した。特に大分市では県下の床上浸水戸数の46%にあたる901戸が浸水したほか、床下浸水戸数は2713戸に達した。
(県下の床上浸水:1949戸、床下浸水:6626戸1994,4,27確定県消防防災踝調べ)
(停電・断水)県内各地で停電が相次ぎ、特に玖珠地方10,900戸・大分市で13,200戸など最大時には60,100戸が停電した。また、大分市では配水管が壊れ6,000戸が断水した。
(港湾施設被害)蒲江町の元猿では、防波堤が長さ約100mにわたって陸地側に約50cm移動したのをはじめ、港湾関係被害は38件におよんだ。
【出典:大分県災異誌 第6編(平成3年-平成12年)(2002.3)】
【出典:1993/9/3 21:00の天気図】
災害データ
- 最低気圧
- 973.8hPa
- 最低気圧観測地
- -
- 最低気圧観測日時
- 1993/9/3 21:18
- 最大風速の風向
- 北
- 最大風速
- 19メートル
- 最大風速の観測地
- 院内
- 最大風速の観測日時
- 1993/9/3 21:00
- 累積最大降水量
- 422ミリ
- 累積最大降水量観測地
- 大分
- 日最大降水量
- 414ミリ
- 日最大降水量観測地
- 大分
- 最大日降水量の観測年月日
- 1993/9/3
- 最大1時間降水量
- -
- 最大1時間降水量の観測地
- 大分
- 最大1時間降水量の観測年月日時間
- 1993/9/3 18:05
- 死者・行方不明者数
- 7人
- 負傷者数
- 20人
- 住家全壊/全焼数
- 33戸(棟)
- 住家半壊/半焼数
- 82戸(棟)
- 住家一部損壊数
- 348戸(棟)
- 床上浸水数
- 1949戸(棟)
- 床下浸水数
- 6626戸(棟)
- 道路被害 ※事前通行規制は除く
- 2053か所
- 橋梁被害
- 52か所
- 山・崖崩れ
- 635か所
- 被害総額
- 85,563,633 千円
主な被害
マップを見る風倒木が流れ込み、通行止めになった。
伊呂波川にかかる市道の橋が流失した(現在は県道円座中津線)。
大分川にかかる市道の橋の一部が流失した。
由布川にかかる県道の橋の一部が流失した。
30代の男性が乗った車が玖珠川に押し流され行方不明になった。
【出典:朝日新聞 平成5年9月4日朝刊】
30代の女性が死亡した。
【出典:朝日新聞 平成5年9月4日朝刊】
道路が決壊し、水道管が破裂。周辺の横落区の6000世帯が断水となった。
【出典:朝日新聞 平成5年9月4日朝刊】
緒方川の増水により一部の高欄(欄干)と壁石(側壁)が流失したが、その後の復旧工事で復元された。
防波堤が長さ約100メートルにわたって陸地側に約50センチ移動した。
JR豊肥線の緒方川にかかる長さ80メートルの鉄橋の橋脚2本が、風倒木などに押し流され流失した。
【出典:朝日新聞 平成5年9月4日朝刊】
緒方川が氾濫し民家2棟が川に押し流されるなどして、60代の夫婦、50代の夫婦の4人が死亡した。
【出典:朝日新聞 平成5年9月4日朝刊】
住宅の裏山が崩れ、中学1年生の女子生徒が土砂に巻き込まれ死亡した。
【出典:朝日新聞 平成5年9月4日朝刊】
【碑文】
平成五年九月三日、戦後最大級といわれる台風十三号の襲来により、県西北部を中心に大規模な災害を引き起こした。
殊に、院内川の源流である定別当地区は人工造林の壊滅的被害、河川の寸断、用水路の全壊等地区の景観が一変する大被害となった。河鹿啼き、蛍が乱舞したかつての清流は、一夜の台風によってその面影を失い、変わり果てた地区の姿に村人は言葉を失い驚嘆するばかりであった。
幸いにして激甚災害地に指定され、県、町の温かい災害対策により四ヶ年の長い歳月と、河川延長二、九四五m、護岸十七、〇八四㎡橋梁八基、総事業額十六億八、五〇〇万円の巨費を投じ、平成九年三月見事に復旧工事が完成した。
この有史以来の災害復旧工事を記念すべく、地区の総意と町内の大手四事業者の全面的支援により、茲に記念碑を建立し後世に伝えるものである。
平成九年六月吉日
災害復旧記念碑建立 発起人会【出典:碑文】