被害【大正11年7月暴風雨】南海部郡因尾村切畑門田
|災害番号:002685|固有コード:00268507
- 市町村
- 佐伯市
概要(被害)
地内の国道ではその一部が深さ3,4尺にまで洗い流され車馬の交通はできないという。
【出典:豊州新報 大正11年7月10日朝刊3面】
災害概要
十数日来、降雨が続き、7月8日夜に入って車軸を流すほどの豪雨となった。これにより県中部から南部を中心に被害が発生した。
災害データ
- 最低気圧
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- 最低気圧観測地
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- 最低気圧観測日時
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- 最大風速の風向
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- 最大風速
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- 最大風速の観測地
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- 最大風速の観測日時
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- 累積最大降水量
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- 累積最大降水量観測地
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- 日最大降水量
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- 日最大降水量観測地
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- 最大日降水量の観測年月日
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- 最大1時間降水量
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- 最大1時間降水量の観測地
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- 最大1時間降水量の観測年月日時間
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- 死者・行方不明者数
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- 負傷者数
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- 住家全壊/全焼数
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- 住家半壊/半焼数
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- 住家一部損壊数
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- 床上浸水数
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- 床下浸水数
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- 道路被害 ※事前通行規制は除く
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- 橋梁被害
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- 山・崖崩れ
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- 被害総額
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主な被害
マップを見る出水により橋が低下しており、堤防道路など相当の被害がある見込み
【出典:豊州新報 大正11年7月10日朝刊3面】
十数日来、連夜降り続いた降雨は8日夜に入って車軸を流すほどの豪雨となり、どんな水害が発生するかという不安の空気が漂ったが、大分市では、明け方頃より小雨となったので水の勢いは徐々に減退し、午前10時頃には不安は一掃された。大分署では当務巡査が徹宵して万が一を警戒したが、無事であることがわかり、午前8時ごろ警戒員は引き上げた4時頃になって毘沙門川の増水約5尺におよび、大道裏に氾濫して、付近一帯の稲田は一面泥海のようになり刻々と水の勢いが加わり、大道町に溢れ、同町一帯の街路は大川のような様子となり深いところは膝が沈むくらいとなり浸水家屋も十数軒あった。
【出典:豊州新報 大正11年7月10日朝刊3面】
日豊北線の神原、重岡間の鉄道線路は豪雨のため7日午後3時ごろ、○か所の線路切り取り高さ50尺以上が300坪を最大としていずれも崩壊し、線路を土砂が埋没し汽車不通となり、各方面より約500人の工夫や人足等が集合して、7日より昼夜兼行で復旧工事に努め、8日の午後5時頃までに汽車の通行ができる見込みになったところ、その後引続き土砂降りのため、土砂を取り除くとすぐその上から崩壊して来る有様で、工事も思うように進捗できず、青木運輸事務所長および山本保線事務所長も現場に出張し、すべての指揮を行い、現場で汽車の乗り換えを行うための事務応援を大分駅から9日1番下り列車で崩壊の現場に駅員数名を出張させ、さらに同朝、大分保線区より人員50名を送り、線路埋没の土砂取り除き工事に従事させるなど非常の混雑をおこなった結果、9日午前11時16分重岡発上り列車より全通することになった。
【出典:豊州新報 大正11年7月10日朝刊3面】
60代の男性が8日午後6時ごろ、宮谷池に水を見に行ったが、連日の降雨により満水だったため、堤防60間程が決壊して押し流され行方不明になったので、村内総出で大捜索を行ったが9日朝までには発見されなかった。
【出典:豊州新報 大正11年7月10日朝刊3面】
佐伯地方における7日朝から夕刻にかけての暴風雨は凄愴を極めたが、翌8日午前10時までの降雨量は反あたり167ミリ(916石8斗4升3合)で近年にない大雨である。対岸の久部では番匠川の氾濫により浸水20数戸に及んでいる。
【出典:豊州新報 大正11年7月10日朝刊3面】
佐伯土木管区に8日正午までに達した情報によると7日の出水で道路に面した山の一部長さ25間が崩壊し道路は土石で60坪近く埋まっている。
【出典:豊州新報 大正11年7月10日朝刊3面】
朝見金山西方の急傾斜の山林は轟然とした音とともに崩壊し、約4丁あまりの峡谷を濁流に岩石を交え押し流し、耕地約3反歩あまりを突き埋め、なお雲泉寺温泉から字向原の花岡別荘に温泉を誘引している鉄管も破壊し濁流はとうとうと朝見川に注ぎ惨憺たる情景となった。耕作主は現状に応急の方法を講じつつあり、すでに山林内の崩壊箇所の実地調査を行ったが、崩壊箇所は昨年崩壊したところに接続する場所で、連日の降雨に山林内ところどころに亀裂を生じ、雨が降ってさらに地すべりが止まらず、山林の下の耕地一帯は数丁歩は突き崩される様子である。なお山林は堅牢な岩石とその上に置かれた粘土によって組成されていればドロドロとなる地層はとめどなく崩壊する心配があるとのこと。
【出典:豊州新報 大正11年7月10日朝刊3面】