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被害【大正3年1月桜島 大正大噴火】大分郡高田村

|災害番号:002620|固有コード:00262001

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市町村
大分市

概要(被害)

1月12日に発生した桜島の噴火のために、鳴動が聞こえ、終日降灰した。

災害概要

1月12日「大正大噴火」:噴火場所は南岳西および東山腹。
噴火の1~2ヶ月前から桜島の一部集落で井戸水の水位が低下。
1月10日から地震、11日には有感地震も含め頻発、12日8:30頃脇、有村など島の南海岸から熱湯噴出。 噴火開始の2時間前には南岳の山頂と中腹から白煙が上昇、10:00頃西側中腹(標高約350m)から噴火、 約10分後には南東側中腹(標高約400m)からも噴火。黒煙・火山雷・空振など22:00から翌13日1:00にかけ特に顕著。 13日20:00頃から溶岩流出開始。西方の溶岩は海に達し沖合の烏島を飲み込む。約2週間後には流出が止まる。 一方,南東方の溶岩は脇、有村、瀬戸を埋没し、1月29日に瀬戸海峡を閉塞。降灰は仙台に達する。 マグマ噴出量は1.58 DRE km3 (VEI4)。噴火に伴う地盤変動大。
この噴火が始まった12日の18時29分(噴火開始から約8時間後)にマグニチュード7.1の強震が発生し、鹿児島市を中心に被害多発。 また、小規模な津波が発生。地震、噴火による被害は死者58名、負傷者112名、噴火による埋没・全焼家屋約2140戸,農作物大被害、地震による全壊家屋約120戸等。

【出典:気象庁「桜島 有史以降の火山活動」https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/fukuoka/506_Sakurajima/506_history.html】

鳴動聞え終日降灰す。(高田村史)

【出典:大分県災害誌 資料篇(1952)】

災害データ

死者・行方不明者数
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負傷者数
-
住家全壊/全焼数
戸(棟)
住家半壊/半焼数
戸(棟)
住家一部損壊数
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床上浸水数
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床下浸水数
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道路被害 ※事前通行規制は除く
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橋梁被害
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山・崖崩れ
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被害総額
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主な被害

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12日大砲のような音とともに戸や障子が動揺すると警察署に問い合わせするものがあり、警察署はさらに県庁に問い合わせを行い桜島の爆発を知り、直ちに町役場および各駐在所に危険がないことを通知して一般を安堵させた。13日は終日降灰があって四辺を塞いだ。

【出典:豊州新報 大正3年1月15日2面】

12日午前11時ごろより遠雷のような響きを聞き、一時は演習だと思われたが、次第に激しい揺れが加わり、戸障子が動揺したので警察署に問い合わせする人もいた。警察署はさらに県庁に問い合わせたところ危険がないことを知り、人々の警戒をとき安心させた。13日は降灰があって、午前9時、10時の間にたいへん屋内に入ってきて大変な迷惑を感じた。

【出典:豊州新報 大正3年1月15日2面】

12日午前10時ごろより音が伝わるとともに、戸障子が揺れ今にも地震が来るかと気遣われ、一時は大変に心配されたが、13日午前8時ごろから降灰があったが、ひどくはなく板の間を白くするほどだった。

【出典:豊州新報 大正3年1月15日2面】

12日午後に入り、遠雷のような音が聞こえ、最初は砲兵の演習くらい思っていたが、午後5時頃になって音がますます激しくなり、戸障子の振動が激しく、特にガラス障子は家の中にいる心地がせず、温泉地帯だということもあって周章狼狽のあまり飛び出すものもいた。桜島の爆発が知らされるまでは、鶴見山の鳴動だと人心は恐れおののきたち騒ぎ、町民の2、3はこの大事件をなぜそのままにしておくかと怒鳴りだし、警察、町役場、宿屋組合などはただちに大分測候所に問い合わせ、桜島が爆発したことを各戸に触れ歩くなど一時混乱したが、新聞の号外などで懸念することはないと知り安心した。13日午後も継続して鳴動が聞こえ、戸障子に微動を感じたが同日夜に入って朝からの降灰は屋根や縁側などに真っ白に積もったが雨のためにようやく落ち着いた。

【出典:豊州新報 大正3年1月15日2面】

桜島が大爆発して以来、県下に鳴動を感じ、直入、日田両郡をはじめ各地より大分測候所に照会し、人心は落ち着かないところ、12日になり原因が明らかとなり、全く心配することはないものだと、いちいち電報や電話で回答して人心は安堵したが、以来測候所における記録も徐々に感じられなくなり、13日に至っては微細の脈動を示すのみとなり、早朝急に曇天となり10時ごろからしきりに降灰をみるが、これは桜島大爆発の際に溶岩に蒸気が混ざったものを噴出し、層巻雲にその灰が伴って、風向きによって送られてきたもので、大火山爆発の場合は世界を回って各地で記録を作ることがあり、ジフラクション(光線屈折)の現象により、朝焼けや夕焼けを作ることがあるものの、今回の降灰は激しくはなく、降雨のときも続いたが、13日午後11時4分から14日朝6時5分まで3ミリメートル4の降雨とともに、南南西や西南西の風が起こるくらいで、降灰は焼失し、測候所でも記録を感じるほどでもなくなり、大分市をはじめ別府地方はまったく平穏に戻った。最初、別府は鳴動が激しく、人々は恐れおののいたが、その感じの強弱や地震の有無は山の近さと地質の硬軟に起因するもので更に恐れるものではないとのこと。

【出典:豊州新報 大正3年1月15日2面】

12日午後3時頃より大砲のような音を聞くと心配し、警察署は大分測候所に問い合わせ、桜島の爆発を知り、さらに町役場に伝え一般に危険がないことを掲示して安心させた。13日は早朝から灰が降ったが激しくはなかった。

【出典:豊州新報 大正3年1月15日2面】

12日正午ごろから13日夕方まで音がやまず、12日夜1時ごろもっとも激しくなり戸障子が間断なくガタガタして、はじめは演習だと思ったが心配は解消されず警察に尋ねるものもあった。13日には午前9時ごろから降灰があって、午前9時から10時がもっとも激しく、屋内に入って非常に迷惑した。

【出典:豊州新報 大正3年1月15日2面】

12日午前10時ごろより大砲を発射するような大音響を聞き、同時に建具が動揺して、町村民は大変心配して、13日午前10時ごろから降灰があって通行中に目口に入り呼吸困難になるほどで、特に12日夜は地震の襲来をおそれ、屋外へ出て万が一の事態を避けようとするものもいた。

【出典:豊州新報 大正3年1月15日2面】

12日朝から13日正午ごろまで音が絶えず戸障子の動揺も激しく、13日は終日降灰があって、外出困難で街路は足跡を残すほどだった。危険がないことを知るまではなかなかの騒ぎだった。

【出典:豊州新報 大正3年1月15日2面】

12日午後5時ごろより音を聞き、戸や障子が動揺した13日午前1時から3時の間がもっとも激しく、13日は終日降灰があった。警察は12日県庁に問い合わせを行い、危険がないことを掲示したが中には危険を心配して避難準備をしたものもいた。

【出典:豊州新報 大正3年1月15日2面】

12日朝より大砲を発射するような大音響があり、13日正午ごろまで継続した。特に12日午前1、2時の間がもっとも激しく、戸障子は絶えず動揺し、13日は明け方より降灰があり、街路は靴跡を残すほどで、町民の心配は大変なもので、中には行李を整え避難準備をするものもあったが、危険なところがないと判明し、ようやく安堵したが、一時はたいへんな騒ぎだった。

【出典:豊州新報 大正3年1月15日2面】

13日正午まで音響は絶えず、戸や障子が動揺した。12日はじめに音を聞くと町村民は海軍の演習があることを伝えるものの、ほとんど間がないために、ついに心配するようになり、警察署に問い合わせする人も少なくなく、警察署は県庁に問い合わせし、桜島爆発とともに危険がないことを知ると、役場に通知して、町役場から一般にこのことを伝えて初めて安心した。12日夜から13日正午ごろまで降灰があり、一時は目口に入って通行困難になったが、13日夜の大雨もあってようやく静まった。

【出典:豊州新報 大正3年1月15日2面】

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