大分県災害データアーカイブ|大分大学減災・復興デザイン教育研究センター(CERD) NHK大分放送局 × 大分大学減災
復興デザイン教育研究センター(CERD)

災害【昭和41年9月台風第19号】

発生期間 昭和41年9月9日-

災害の種別
台風 大雨 強風
市町村
佐伯市 大分市 玖珠町 臼杵市

概要

6日フィリピンのはるか東方洋上にあった熱帯低気圧は8日には台風19号となった。台風が九州の南海上に達した8日の夜半には970ミリバールまで発達した。台風が日向灘を北上し、宮崎県北部の沿岸に達した9日昼前から県中部・南部では風雨が強くなり、台風が大分県の沿岸を北上し、伊予灘に進んだ16時ごろまでの7時間ぐらいが最も強かった。短時間に大雨が降ったため1〜3時間に一挙に警戒水位を突破した。

この大雨は県の中部、南部の大分、臼杵、津久見の各地で浸水や土砂くずれなどが起った。国鉄の日豊、久大、豊肥の各線とも不通となり、別大国道をはじめ、海陸空の交通がまひした。大分市内でも強い雨と満潮が重なり、小河川や排水溝がはんらんし、家屋や道路の浸水が多く、一時は市内の交通がとまった。市内の光吉浄水場が浸水し、水道がとまった。
また、大野川支流が決壊し、大分市、大南地区の昆布刈、光永の両部落の70戸が孤した。玖珠町では乗用車が増水した井路に転落して4人が水死した。その他、史上最高の豊作といわれる稲作をはじめ農作物の被害も心配されている。
被害額は県の調べによると、17億円に達し、とくに大分、臼杵、津久見の3市と南海部郡に多く、県南は引きつづく3度目の大雨被害にあった。なお、大分、臼杵両市に災害救助法が適用された。

【出典:大分県災異誌 第3編(1975)】

【昭和41年9月台風第19号】

【出典:1966/9/9 9:00の天気図】

災害データ

最低気圧
991.8hPa
最低気圧観測地
-
最低気圧観測日時
1966/9/9 14:15
最大風速の風向
最大風速
14.7メートル
最大風速の観測地
大分
最大風速の観測日時
1966/9/9 12:30
累積最大降水量
342ミリ
累積最大降水量観測地
津久見
日最大降水量
282ミリ
日最大降水量観測地
津久見
最大日降水量の観測年月日
1966/9/9
最大1時間降水量
-
最大1時間降水量の観測地
大分
最大1時間降水量の観測年月日時間
1966/9/9 14:00
死者・行方不明者数
5人
負傷者数
-
住家全壊/全焼数
6戸(棟)
住家半壊/半焼数
7戸(棟)
住家一部損壊数
-
床上浸水数
2144戸(棟)
床下浸水数
5488戸(棟)
道路被害 ※事前通行規制は除く
74か所
橋梁被害
4か所
山・崖崩れ
58か所
被害総額
1,700,000 千円

主な被害

マップを見る

払川が増水し、20戸が床上浸水した。集落の道路は正午ごろには2.5メートルほど浸水した。

【出典:大分合同新聞 1966年9月9日夕刊3面】

臼杵港に避難していた漁船が転覆。乗組員2人のうち1人が行方不明になった。

【出典:大分合同新聞 1966年9月9日夕刊1面】

大手前商店街は浸水被害を受けた。水は番匠川とは反対の大手前交差点側から写真奥の方向に向かって流れ込んだ。城山などに降った雨が排水しきれず「内水氾濫」が起きたとみられる。

佐伯市大手前

大手前商店街の店は全店閉店した。写真提供者の井上さんの店では足のくるぶしくらいまで水が上がったという。

佐伯市大手前

近くを流れる寒田川が増水。送水ポンプ3台など施設が水に浸かり、給水できなくなった。10日朝から時間給水を行っているが、場所によっては完全に断水したところもあり給水車も出動した。影響を受けたのは3万5000世帯、14万人。徹夜の復旧作業が行われ、11日午後5時にはポンプの修理が終了し運転再開。64時間ぶりに完全給水となった。

【出典:大分合同新聞 1966年9月10日朝刊8面】

古後井路が増水。大分市から日田市へ帰る途中の乗用車がハンドルを取られ4メートル下の井路に転落。この事故で20代の男性1人、女性2人、2歳の男の子の4人が死亡した。ふだんは水の流れは少ないものの、台風のため水深1メートルに増水し、車体の半分以上が水に浸かっていた。

【出典:大分合同新聞 1966年9月10日朝刊9面】

強い風と雨のため、村道で小型タクシーがおよそ1.5メートル下の海岸に転落した。30代の男性運転手と20代の女性の乗客がそれぞれ頭を打って意識不明の重体となった。

【出典:大分合同新聞 1966年9月9日夕刊3面】

海添川が増水し、海水が逆流したため30戸が床上浸水した。

【出典:大分合同新聞 1966年9月9日夕刊3面】

野津院川が増水し橋の一部が流出。田んぼの見回りに行く途中だった50代の男性が巻き込まれ行方不明になった。地域の住民や消防団員によって捜索が続けられたが、10日午後3時半ごろ、流された場所から約10キロ下流で遺体となって発見された。

【出典:大分合同新聞 1966年9月10日朝刊9面】

判田川と立小野川が増水。孤立状態になった。川の水は午後4時過ぎにはゆるやかになり、引き始めたが住宅1戸が流出、残りのほとんどが1階の軒先まで水に浸かった。

【出典:大分合同新聞 1966年9月10日朝刊9面】

大野川の支流の昆布刈川の堤防が数十メートルにわたり決壊。集落に水が流れ込み30戸が孤立した。水は平屋建ての住宅の屋根下まで達するほどで、大分消防署の救助隊により2階などに避難した22人(5戸)を救出した。

【出典:大分合同新聞 1966年9月10日朝刊9面】

大分市昆布刈

災害一覧に戻る