大分県災害データアーカイブ|大分大学減災・復興デザイン教育研究センター(CERD) NHK大分放送局 × 大分大学減災
復興デザイン教育研究センター(CERD)

被害【昭和57年7月大雨(7月豪雨)】竹田市

|災害番号:009270|固有コード:00927001

災害の詳細を見る →

市町村
竹田市

概要(被害)

【昭和57年7月大雨(7月豪雨)】民家の裏山のがけ(高さ約15メートル、幅約10メートル、奥行き約3メートル)が崩れ、土砂が住宅を直撃、柱を折り炊事場を埋めた。家に居た家族は逃げ出し無事だった。

災害概要

7月10日朝、東径120度線に深い気圧の谷が現われ、一方、太平洋高気圧は次第に勢力が強まる傾向を見せはじめた。このため、九州の南方海上で消滅状態にあった梅雨前線は、徐々に北上して活動を強めた。この前線上を低気圧が東進する度に九州付近で前線活動は活発になり、下旬にかけて再三大雨が降った。特に24日は竹田市を中心に豪雨となり大きな被害が出た。

11日:発生した低気圧が日本海中部を東進したのにともない南風が入り、県西部の伏木や釈迦岳などでは100~200ミリ前後のまとまった雨が降った。
12~14日:九州の中部・北部で梅雨前線の活動が活発となり、日降水量100~150ミリ、1時間20~40ミリ、3時間40~60ミリの強い雨が降った。
15日:梅雨前線は九州南岸まで南下して雨は小康状態。
16日:済州島付近から低気圧が接近し、前線活動が活発となり日降水量は県西部で100ミリを超えた。
17~19日:17日朝のうち県南を前線が南下し所により1時間20ミリ前後の強い雨が降ったが、その後、18日にかけて小康状態。
19~20日:相次いで前線上を低気圧がとおり、両日ともに全域で日降水量が50~100ミリとなった。
21~22日:移動性高気圧の東進により梅雨前線は九州南海上まで南下し、晴間がのぞく。23~25日:22日大陸東岸に発生した低気圧は、23日ゆっくり東シナ海を東進し、これにともない梅雨前線も九州中部まで北上した。同日夜、長崎市では3時間に315ミリ降水量448ミリの豪雨とな.り、24日未明にかけて大被害が発生した。県下では、23日早朝から小雨が降り始めたが、同日は特に強く降ることはなく所により1時間10ミリを超える程度で、23日の日降水量のもっとも多い所は臼杵の64ミリであった。24日低気圧は梅雨前線上をゆっくり東進し九州北部を通過した。このため長崎県・熊本県にあった強い雨域は大分県内に移った。07~9時には西部山沿いを中心に1時間30~60ミリの強い雨をもたらした雨域は09~10時に竹田方面にその中心を移した。竹田市では10時に47ミリ、8~11時までの3時間に98メートルの雨量を記録し、日降水量は252ミリに達した。強い雨をもたらした雨雲は、昼過ぎごろまで県西部方面に停滞していたが、その後南下し、雨は次第に弱まったが、前線は九州北部にあって不安定な状態は続いた。25日朝方、県南地方を中心に50~70ミリ前後の雨が降り、その後、低気圧が四国へ進み天気も回復した。

大分県では、24日12時に災害対策本部を設置した。竹田市には、災害救助法が適用された。天瀬町・久住町など7団体に県小災害に対する救助内規が適用された。

災害の主な発生状況を大分合同新聞の記事から抜粋すると
(7月10日から20日にかけての長雨による災害)
1. 13日05時すぎ、豊後高田市是永町の桂川の護岸工事現場で古い護岸が長さ150m、高さ6mにわたって崩れ、護岸沿いの民家2戸と倉庫などの基礎の一部がえぐりとられた。
2. 3日10時30分ごろ、竹田市で民家の裏山のがけ(高さ約15m、幅約10m、奥行き約3m)が崩れ、土砂が住宅を直撃、柱を折り炊事場を埋めた。家に居た家族は逃げ出し無事だった。
3. 16日15時ごろ、玖珠町戸畑の国道210号線滝瀬トンネル上部にある高さ20mのがけが幅30mにわたって崩れ、約1,700~1,800㎥の岩石ががけ下の道路を埋めた。たまたま、下校中の小学生が土砂崩壊にまきこまれ死亡した。
4. 20日、三重町向野の農業用ため池の土手が崩れ、下流にある水田約1haが泥水につかった。
5. 国鉄豊肥線は、12・14・16・20日に遅延、久大線は13,16日に運休があり20日には遅延があった。日豊線では16,20日に遅延があった。

(7月23日から25日にかけての豪雨による災害)
1. 24日09時50分ごろ、竹田市玉来地区東で住宅の裏のがけが高さ30m、幅20mにわたって崩れ、住宅2棟を押しつぶし3人が下敷きとなった。2人は救助されたが、1人は土砂の中から遣体で発見された。
2. 24日12時50分ごろ、竹田巿城原地区米納の国道442号線で地元の消防団員など34人が水路を埋めた土砂の取り除き作業中がけ崩れが発生し16人が生き埋めになった。土砂崩れは幅40m、高さ40mにおよび懸命の救助作業が行われたが、6名は遺体で発見された。
3. 24日午前中を中心に荻町・中津江村・九重町等でも土砂崩れ、がけ崩れのため住宅の全半壊があった。
4. 24日09時過ぎ、竹田市の中心部を流れる稲葉川が4.0mの危険水位を超え10時には6.0mとなり11時過ぎ堤防からあふれた濁流が市街地に流れ込んだ。国鉄豊後竹田駅前に架かっていた“たけだ橋”沿いにあるクリ一二ング店があっという間に濁流に流されたのをはじめ民家4戸が流失した。また、床上・床下浸水家屋は300戸にのぼり、商店街の一部も水につかったが、午後には水も引き始めた。市内駅前にある商店主は「水がたけだ橋を超えたのは60年ぶり」と話していた。
5. 24日は県西部の各地で、がけ崩れ・土砂崩れ等が多発し道路が寸断された。また、24~25日にかけて国鉄は久大線・豊肥線・日豊線で運休や遅延があり、特に豊肥線は被害が大きかった。
6. 玖珠川、三隈川、大野川等も氾濫して被害が出た。

【出典:大分県災異誌 第5編(昭和56年~平成2年)(1991.12)】

【昭和57年7月大雨(7月豪雨)】

【出典:1982/7/23 21:00の天気図】

災害データ

最低気圧
-
最低気圧観測地
-
最低気圧観測日時
-
最大風速の風向
-
最大風速
-
最大風速の観測地
-
最大風速の観測日時
-
累積最大降水量
1388ミリ
累積最大降水量観測地
釈迦岳
日最大降水量
252ミリ
日最大降水量観測地
竹田
最大日降水量の観測年月日
1982/7/24
最大1時間降水量
-
最大1時間降水量の観測地
-
最大1時間降水量の観測年月日時間
-
死者・行方不明者数
8人
負傷者数
16人
住家全壊/全焼数
27戸(棟)
住家半壊/半焼数
21戸(棟)
住家一部損壊数
90戸(棟)
床上浸水数
412戸(棟)
床下浸水数
708戸(棟)
道路被害 ※事前通行規制は除く
1833か所
橋梁被害
19か所
山・崖崩れ
61か所
被害総額
25,451,602 千円

主な被害

マップを見る

【昭和57年7月大雨(7月豪雨)】管理棟、屋内運動場、特別教室棟、便所が床下浸水、グラウンドの一部が浸水するなどの被害が出た。

【出典:82.7.24集中豪雨災害の記録(竹田市,1983)】

【昭和57年7月大雨(7月豪雨)】稲葉川の氾濫により、土砂や流木などが流れ込み埋没した。また防球ネットが倒壊した。

【出典:82.7.24集中豪雨災害の記録(竹田市,1983)】

【昭和57年7月大雨(7月豪雨)】稲葉川の氾濫により、土砂や流木などが流れ込み埋没した。

【出典:82.7.24集中豪雨災害の記録(竹田市,1983)】

【昭和57年7月大雨(7月豪雨)】24日9時過ぎ、竹田市の中心部を流れる稲葉川が4.0メートルの危険水位を超え、10時には6.0メートルとなり、11時過ぎ堤防からあふれた濁流が市街地に流れ込んだ。国鉄豊後竹田駅前に架かっていた“たけだ橋”沿いにあるクリ一二ング店があっという間に濁流に流されたのをはじめ、民家4戸が流失した。また、床上・床下浸水家屋は300戸にのぼり、商店街の一部も水につかったが、午後には水も引き始めた。市内駅前にある商店主は「水がたけだ橋を超えたのは60年ぶり」と話していた。

【昭和57年7月大雨(7月豪雨)】土砂の流出により水路が埋没して濁流が住宅の納屋に侵入してきた。水路の土砂を取り除いている最中、幅10メートル、高さ15メートルにわたり土砂崩れが発生。40代の男性が膝が曲がったまま首まで埋まった。男性は近隣の住民により救出された。

【出典:82.7.24集中豪雨災害の記録(竹田市,1983)】

【昭和57年7月大雨(7月豪雨)】稲葉川にかかる橋が流失した。

【出典:82.7.24集中豪雨災害の記録(竹田市,1983)】

【昭和57年7月大雨(7月豪雨)】トンネル上部の土砂が崩れ、36時間にわたり全面通行止めになった。

【出典:82.7.24集中豪雨災害の記録(竹田市,1983)】

【昭和57年7月大雨(7月豪雨)】講堂が床上1.5メートルまで浸水、土砂や流木が講堂に流れ込みホール全体が浮き上がり使用不能になった。また体育倉庫や焼却炉が流失、特別教室、管理棟が床上浸水、グラウンド全面に土砂や流木が流れ込むなどの被害が出た。

【出典:82.7.24集中豪雨災害の記録(竹田市,1983)】

【昭和57年7月大雨(7月豪雨)】トンネル上部にある高さ20メートルのがけが幅30メートルにわたって崩れ、約1700~1800立方メートルの岩石ががけ下の道路を埋めた。たまたま下校中の小学生が、土砂崩壊にまきこまれ死亡した。

【昭和57年7月大雨(7月豪雨)】農業用ため池の土手が崩れ、下流にある水田約1ヘクタールが泥水につかった。

【昭和57年7月大雨(7月豪雨)】地区の住民や消防団員など34人が水路を埋めた土砂の取り除き作業を行っている最中、山林が幅35メートル、奥行き20メートルにわたって流出。またたく間に住宅や畜舎3棟を壊し、16人を土砂に巻き込み、国道まで押し流した。重機などを使い救助作業が行われたが、50代の女性2人、60代の男性3人、40代の男性1人が遺体で発見された。

【出典:82.7.24集中豪雨災害の記録(竹田市,1983)】

【昭和57年7月大雨(7月豪雨)】住宅の裏の杉山が高さ30メートル、幅25メートルにわたって崩れ、住宅2棟を押しつぶした。家の中にいた3人が生き埋めになった。1人は自力で脱出し、もう1人は1時間後に救助されたが、5歳の女の子は午後4時23分に土砂の中から救出されたものの、死亡が確認された。

【昭和57年7月大雨(7月豪雨)】桂川の護岸工事現場で古い護岸が長さ150メートル、高さ6メートルにわたって崩れ、護岸沿いの民家2戸と倉庫などの基礎の一部がえぐりとられた。

災害一覧に戻る