被害【享保8年11月地震】由布市湯平 熊の坂供養碑
発生期間 享保8年11月- |災害番号:000950|固有コード:00095001
- 市町村
- 由布市
概要(被害)
【碑文】
(表刻字)
三 界 満 霊 十 方 至 聖 等
サン ガイ マン リョウ ヂツ ポウ シ ショウ ドウ
(向かって右刻字)
享保十二年丁末歳
奥州覚範徒離幻(オオシュウ カクハント リゲン)
外護 工藤三助兼治
【案内看板】
町指定有形文化財
「熊の坂供養碑」(原文)
享保八年ごろ(将軍徳川吉宗のころ)湯平には何度も地震や山くずれがありました。このため温泉場では多くの人や家畜が流され また疫病が流行(古文に「大蛇の毒気に死する者多し」とある)し多くの住民が死にました。そこで、木の上(大分市)の少林寺の寒岩和尚に病魔退治をお願いしました。寒岩和尚は少林寺で修行中の奥州仙台覚範寺の豪僧、大空離幻に命令して病魔を退散させました。その後、野津原谷村(現挾間町)(※看板は「狭」)の井路作りで有名な工藤三助兼治にお願いして地震の後の温泉場を復旧し石畳をつくりました。また当所に石橋を架け熊の坂井路を作るとともに地震や山くずれで亡くなった人や家畜の供養のためこの供養碑を建立しました。
湯布院町教育委員会
【湯平温泉郷土史 結(供養碑)】(原文)
享保年間湯平に大山汐があって温泉場の人家多数圧し流され 何人かの屍が比の熊の坂の川の曲地点にひっかかったと思はれ、其の時比処に懸けてあった橋も流失し、新しく石橋が彼等七人の手によって懸けられたと同時に溺死者の為めと流行病に仆れた人も含めて 供養碑がその時建立されたものと思はれます。この石橋も又後年の洪水に流失したものと思はれます。
【出典:湯平温泉郷土史第壱巻(金子 博亜 著)p.27 平成九年九月 】
【出典:大分大学減災・復興デザイン教育研究センター】
災害概要
屋瓦落ち、石塔倒れ、倒壊家屋あり、餘震月を踰えたり(一月を超えた)(十三朝紀聞)
【出典:大分県災害誌 資料篇(1952)】
西日本 地震 9時ごろ大地震。筑後・肥後は特に強く、柳川ではかわらが落ち、石塔が倒れ、余震は12月に及ぶ。肥後山本郡慈恩寺で温泉がわき出る。11月20日という記録もある。
災害データ
- 地震発生時間
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- マグニチュード
- 6.5±1/4M
- 震源の深さ
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- 最大震度
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- 最大震度観測地
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- 津波有無
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- 死者・行方不明者数
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- 負傷者数
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- 住家全壊/全焼数
- 戸(棟)
- 住家半壊/半焼数
- 戸(棟)
- 住家一部損壊数
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- 床上浸水数
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- 床下浸水数
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- 道路被害 ※事前通行規制は除く
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- 橋梁被害
- か所
- 山・崖崩れ
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- 被害総額
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