大分県災害データアーカイブ|大分大学減災・復興デザイン教育研究センター(CERD) NHK大分放送局 × 大分大学減災
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災害【昭和22年4月火災】

発生期間 昭和22年4月7日-

災害の種別
火災
市町村
豊後大野市

概要

大野郡三重町大字赤嶺の大火、午後11時30分頃出火、42戸50棟、自動車1台、トラック2台全焼。(大分合同新聞記事)

【出典:大分県災害誌 資料篇(1952)】

災害データ

死者・行方不明者数
-
負傷者数
-
住家全壊/全焼数
50戸(棟)
住家半壊/半焼数
戸(棟)
住家一部損壊数
-
床上浸水数
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床下浸水数
-
道路被害 ※事前通行規制は除く
-
橋梁被害
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山・崖崩れ
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被害総額
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主な被害

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自動車会社の車庫から出火。小野ラジオ営業部、橋本屋旅館、本社(大分合同新聞社)三重通信部、日通支店、同営業書、豊後豊(?)林株式会社、?日豊両支店、双葉洋裁学園、豊肥林業第2工場など、42戸50棟、ハイヤー1台、トラック2台を全焼したが、損害1000万円にのぼる見込み。出火と同時に三重町ほか、菅尾、百枝、新田各村の警防団員1425名が消火に活躍し、8日午前2時ごろ消し止めたが、20名は軽傷を受けた。原因は三重署で取り調べいるが自動車会社の20代の運転手が7日夜使用したハイヤーの発生?に残っていた火を消さずにそのまま車庫に入れたのがハイヤーに燃え移ったものと見られている。三重町では8日朝に炊き出しを行い、また全町に回覧板を回して食糧、衣類、日用品などを寄付してもらい早速配給した。焼け出された人々は親類、知人の家に身を寄せそのほかは同町正龍寺に避難している。

【出典:大分合同新聞 1947年4月9日朝刊2面】

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