大分県災害データアーカイブ|大分大学減災・復興デザイン教育研究センター(CERD) NHK大分放送局 × 大分大学減災
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災害【昭和22年2月火災】

発生期間 昭和22年2月17日-

災害の種別
火災
市町村
竹田市

概要

竹田町大字中本町の大火、午後9時頃出火、折柄の北風に火勢上り、住家62棟全焼。この外非住家11棟、り災者82世帯、370名を出した。(大分合同新聞記事)

【出典:大分県災害誌 資料篇(1952)】

災害データ

死者・行方不明者数
-
負傷者数
-
住家全壊/全焼数
62戸(棟)
住家半壊/半焼数
戸(棟)
住家一部損壊数
-
床上浸水数
-
床下浸水数
-
道路被害 ※事前通行規制は除く
-
橋梁被害
-
山・崖崩れ
-
被害総額
-

主な被害

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木履工場から発火、隣家で発見したときには工場は火の海となり折柄の北西風に火勢は竹田町の中心の目貫街、下本町、中本町、魚町、田町、新町、下町、寺町と三方に燃え広がり、同町および、玉来、入田、松本その他各町村の警防団が水の不便に屈せず必死の活動を続け、18日午前1時半に鎮火した。飛火のため直入地方事務所裏手に山火事が起こったが大事に至らず消し止めた。全焼住家62棟、非住家11棟、半焼住家1棟、罹災者82世帯370名にのぼり、明治10年西南の役以来の大火で原因は木履工場の昼間作業の火の不始末(夜間同工場に一人の宿直も夜警もいない)からで損害は3000万円以上になる見込み。30代の男性1人が負傷した。

罹災者中、家なき人々は町内の親族、知己または竹田劇場、寺院などで難を避けているが、町当局は18日午前10時緊急町会を開き、救助善後策について協議したが、竹田町内および豊岡、明治、岡本各地区の婦人会、青年団は徹夜炊き出し寝具の世話に活動し、隣接町村も救済策に乗り出している。

焼失した主なる建物は竹田保健所、竹田衣料品配給所、パレス女学院、新社会新聞社、社会党および自由党各直入郡支部。そのほか同町の中心をなしている大商店が大部分をしめている。

大火の原因は出火家屋の無人と烈風によるもので、発見が午後10時前後とあって、停電のためサイレンも鳴らず、上水道の断水と下水も配電会社の余り水をもらっていたため一滴もなく、上下水ともに1時間を要して送水するなどことごとく悪条件下にあったためである。

【出典:大分合同新聞 1947年2月19日朝刊2面/2月20日朝刊2面】

火災により30世帯141名が罹災した。

【出典:大分合同新聞 1947年2月19日朝刊2面】

火災により43世帯191名が罹災した。

【出典:大分合同新聞 1947年2月19日朝刊2面】

火災により5世帯22名が罹災した。

【出典:大分合同新聞 1947年2月19日朝刊2面】

火災により4世帯16名が罹災した。

【出典:大分合同新聞 1947年2月19日朝刊2面】

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