被害【昭和54年3月強風・波浪】豊後水道
|災害番号:008910|固有コード:00891002
概要(被害)
午前0時35分ごろ、佐賀関町上浦港沖合15キロのところで、丸型のブイに人がもたれかかって漂流しているのを発見。すぐに伝馬船を降ろしてブイに向かったが、ブイまであと3、40メートルのところで高波のためにブイにいた人の姿が海中に消えた。ブイの近くに水入れのボリ容器が浮いていたので事故じゃないかと大分海上保安部に連絡をより、巡視艇が到着するまでブイを発見した周辺の海を捜索したが何も見つからなかった。ブイを発見したとき海上はうねりがあり、手を振る様子もなかったところをみると、意識不明のままブイにもたれかかって漂流していたのだろう。(漂流者を発見した船長の話)
【出典:大分合同新聞 1979年3月24日朝刊11面】
災害概要
移動性高気圧が日本海中部を東進したため、北高型の気圧配置となり、海上では北東の風がやや強く吹いた。
23日未明、佐伯港を出港して国東港に向かっていた佐伯市の砂利運搬船「第8栄信丸」(367トン、4人乗り組み)が、佐賀関町関崎灯台の北約9km付近の海上で沈没し、4人が行方不明となった。海上保安部の調べでは、沈没推定時刻23日6時前後、遭難当時の海上は平均風速10m/s、波の高さは2メートルのしけの状態であった。船は横波をうけて荷崩れを起こし、バランスを失って一瞬のうちに沈没したのではないかとみている。
【出典:大分県災異誌 第4編(昭和46年~55年)(1981.12)】
災害データ
- 最低気圧
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- 最低気圧観測地
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- 最低気圧観測日時
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- 最大風速の風向
- 北東
- 最大風速
- 5.3メートル
- 最大風速の観測地
- 大分
- 最大風速の観測日時
- 1979/3/23 13:50
- 累積最大降水量
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- 累積最大降水量観測地
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- 日最大降水量
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- 日最大降水量観測地
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- 最大日降水量の観測年月日
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- 最大1時間降水量
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- 最大1時間降水量の観測地
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- 最大1時間降水量の観測年月日時間
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- 死者・行方不明者数
- 4人
- 負傷者数
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- 住家全壊/全焼数
- 戸(棟)
- 住家半壊/半焼数
- 戸(棟)
- 住家一部損壊数
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- 床上浸水数
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- 床下浸水数
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- 道路被害 ※事前通行規制は除く
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- 橋梁被害
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- 山・崖崩れ
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- 被害総額
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主な被害
マップを見る午後3時ごろ、関崎灯台の北9キロの速吸の瀬戸でA重油が幅2、30メートル、長さ1.8キロ帯状で、北西に流れているのを捜索中の第7管区海上保安部のヘリコプターが発見した。別府航路1号ブイの東側で、この付近の水深は80-100メートル、重油は海中から湧出している状態。第8栄信丸はこの付近で遭難したのではないかと大分海上保安部はみている。第8栄信丸が佐伯港を出港したあと時速11ノットで航行していたとすると午前4時半ごろにこの付近の海域についていたとみられる。この時間には6、7メートル北東の風が吹いており、波はかなり高かったらしい。大分海上保安部は波で第8栄信丸の戦隊が傾くか浸水して荷崩れしてバランスを失って転覆、沈没したのではないかーとみている。
【出典:大分合同新聞 1979年3月24日朝刊11面】
23日正午ごろ、佐伯市日の出区の久保海運から午前7時ごろ国東港に入港予定の砂利運搬船「第8栄信丸」(367トン、4人乗り組み)が正午を過ぎても入港しないと大分海上保安部に届け出があった。同保安部は①佐賀関町神崎沖で第8栄信丸の無人の救助ボート、関崎灯台沖で同船の救命浮輪につかまって漂流していた男の人が力尽きて水没②大量の油が浮いているのが見つかったーことなどから第8栄進丸が遭難したものとみて、巡視艇「はまゆう」など5隻を出して、第7管区海上保安本部からヘリコプター1機も出動して付近の海域を捜索した。夜になっても「そよかぜ」など巡視艇2隻が投光器で海を照らして捜索を続けたが、船長らは見つからず絶望視されている。
【出典:大分合同新聞 1979年3月24日朝刊11面】