被害【昭和41年9月台風第24号】大分市府内町2丁目
|災害番号:007350|固有コード:00735003
- 市町村
- 大分市
概要(被害)
近くの道路の排水溝からスーパーマーケットに汚水が流れ込み、20センチほどの深さまでたまった。濡れた商品は廃棄するなどの被害が出た。この付近には直径40センチの古い排水管が1本しか通っておらず、ちょっとした雨でもすぐ水浸しになっていた。
【出典:大分合同新聞 1966年9月25日朝刊9面】
災害概要
台風24号は沖縄付近を北上した23日の夜半には978ミリバール、24日で正午ごろ983ミリバールとやや衰えた。その後台風は九州に上陸しないまま日向灘から四国方面に向い次第に弱まった。この台風は雨台風であった。雨は県南の山間地から、大野・大分川流域に多く、総降水量は300ミリを越えたところもあった。台風の進路が本県からそれたので、風の被害はほとんどなかった。総雨量は多かったが長い時間にわたって降った雨で、いわゆる集中豪雨の現象はなく、心配されたほどの災害はなかった。
台風の進路が本県からそれたので、風の被害はほとんどなかった。総雨量は多かったが長い時間にわたって降った雨で、いわゆる集中豪雨の現象はなく、心配されたほどの災害はなかった。しかし、24日の朝から船便や航空便の欠航が始まり、バスも運休し、国鉄の豊肥線も24日の15時40分ごろから不通なった。
竹田地方や県南の一部ではところどころ、がけくずれが起り、緒方町では家屋が1棟全壊した。また、大分市内の排水の悪い低地では110棟が床下まで浸水した。
【出典:大分県災異誌 第3編(1975)】
【出典:1966/9/24 21:00の天気図】
災害データ
- 最低気圧
- -
- 最低気圧観測地
- -
- 最低気圧観測日時
- -
- 最大風速の風向
- -
- 最大風速
- -
- 最大風速の観測地
- -
- 最大風速の観測日時
- -
- 累積最大降水量
- 422ミリ
- 累積最大降水量観測地
- 長谷川
- 日最大降水量
- 259ミリ
- 日最大降水量観測地
- 長谷川
- 最大日降水量の観測年月日
- 1966/9/24
- 最大1時間降水量
- -
- 最大1時間降水量の観測地
- -
- 最大1時間降水量の観測年月日時間
- -
- 死者・行方不明者数
- -
- 負傷者数
- -
- 住家全壊/全焼数
- 1戸(棟)
- 住家半壊/半焼数
- 戸(棟)
- 住家一部損壊数
- 2戸(棟)
- 床上浸水数
- 1戸(棟)
- 床下浸水数
- 171戸(棟)
- 道路被害 ※事前通行規制は除く
- 18か所
- 橋梁被害
- -
- 山・崖崩れ
- 9か所
- 被害総額
- -
主な被害
マップを見る県道の新川橋付近が臼杵川のあふれた水で洗われ、通りがかった乗用車がエンスト。川に流されかけた。通りがかったトラックが救出しようとしたが増水が激しくこのトラックも流されかけた。車に乗っていたあわせて3人は逃げ出して無事だった。2台は堤防に引っかかって止まった。
【出典:大分合同新聞 1966年9月25日朝刊9面】
左津留川の水があふれたため通りがかった小型貨物自動車の車内に浸水。エンストし川に流されかけた。運転手が近くの人に助けを求め、消防団員が乗っていた4人を救出した。
【出典:大分合同新聞 1966年9月25日朝刊9面】
豊肥線の猪山トンネルの中判田側出口で約8立方メートルの土砂が長さ約7メートルにわたり線路に流れ込み、不通となった。保線区の作業員が復旧作業を行い、いったんは開通したがトンネルから700メートル竹中寄りで9日の災害復旧の際いつくった土のうが長さ20メートルにわたり約1メートル沈下。線路の浸水が相次ぎ、翌日の朝に全線が復旧した。
【出典:大分合同新聞 1966年9月25日朝刊1面】
排水路からの雨水が道路にあふれ、付近は浸水の被害を受けた。
【出典:大分合同新聞 1966年9月24日夕刊1面】
裏山が高さ13メートル、幅10メートルにわたって崩れ落ち、木造草ぶきの平屋を押しつぶした。家族5人は近くの家に避難していたため無事だった。
【出典:大分合同新聞 1966年9月25日朝刊1面】