大分県災害データアーカイブ|大分大学減災・復興デザイン教育研究センター(CERD) NHK大分放送局 × 大分大学減災
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被害【文化1年8月大風雨・洪水】大分郡府内

|災害番号:001610|固有コード:00161003

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市町村
大分市

概要(被害)

府内より南東の被害は溺死や圧死がおよそ300人あまり、家屋の流出や倒壊は3000戸あまりで1時間あまりの間に起きたことだった。

災害概要

(1)脇蘭室の菡海漁談に「豊後臼杵、鶴崎、府内などの洪水は、文化元年甲子8月29日夜半のこと、予鶴崎に在って親しくこの患をへたればその委曲を記し置きたり。今その概略を述べん。その年7~8月多雨にして月末には殊に大風雨ありしに、29日の暮に至って河水尚充分に至らず、海潮既に満ちたれど、自若として岸を浸すことなし、夜半に至り風波の響奔馬の如く車輪の如し、あわやと驚き起れば、濁浪戸庭に生じ床浮び席流れ器機てん倒し、衣衾ぬれつくす。墻くつがえり屋傾くものあり、梁ひたり棟没するものあり泣声天にわき漂屍地に満つ、馬を引きて堂に上れば舟を廻して楼につなぐ、市井の間狼藉殊に甚し、油庫酒蔵醤醸の店ことごとく水に和し、布帛雑貨泥土を糝す。川上の諸村漂流し屋材農具、人畜の死せる皆潦水に送り来れば、下流に乱れ集り海洋に飄散す、惨痛の至、茶毒の極とすべし、平常の河流に比するに水高きこと2丈余、豊後海浜府内より東南、この害にかかるもの、溺死圧死凡そ300人余、流屋倒舎とも3000戸、唯半時の間に凶横を受けたり。田圃道堤の破壊、衣食財用のミリ失、計算にいとまなし、洪水海に帰して一夢の如く死喪の家、患災の地、実に心眼をいだきしむるに堪えたり」。
児玉氏雑記に曰く「文化元年8月29日、辰己風北東風に廻り、大鶴村鐙鼻、地水より33尺増水、堤防破壊、人家流失、死亡多し」。

(2)臼杵封内溺死94人牛馬88頭田畑損毛高40148石餘なり。(国東半島史)

(3)大雨洪水(別府史談)

【出典:大分県災害誌(調査編)、大分県災害誌 資料篇(1952)】

西日本 暴風雨 全国的暴風雨。防長では8月30日、筑前では28日、肥前では29日、豊後では29日夜半(南東風から北東風に回る)に大被害を生ずる。

【出典:西日本災異誌(日下部正雄,気象庁研究時報11(5),1959)】

災害データ

最低気圧
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最低気圧観測地
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最低気圧観測日時
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最大風速の風向
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最大風速
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最大風速の観測地
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最大風速の観測日時
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累積最大降水量
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累積最大降水量観測地
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日最大降水量
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日最大降水量観測地
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最大日降水量の観測年月日
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最大1時間降水量
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最大1時間降水量の観測地
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最大1時間降水量の観測年月日時間
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死者・行方不明者数
394人
負傷者数
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住家全壊/全焼数
3000戸(棟)
住家半壊/半焼数
戸(棟)
住家一部損壊数
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床上浸水数
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床下浸水数
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道路被害 ※事前通行規制は除く
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橋梁被害
か所
山・崖崩れ
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被害総額
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主な被害

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この地で家を流され亡くなった17人を供養するための阿弥陀如来坐像。台座の正面には建立の経緯、両側面には亡くなった人の名前や戒名が記されている。もともとはこの地区の別の場所に祀られていたが、平成18(2006)年に現地へ移転した。

【碑文内容】
文化元年(1804)8月29日夜半に発生した洪水は、大分市・臼杵市などで死者300人を超える被害が発生した。そのうち滝尾地区では流失した家屋では、17名が亡くなる被害が発生した。(大分市防災局防災危機管理課提供)

【出典:伝えたい 滝尾の記憶 滝尾歴史本(滝尾地区連合自治会, 2017)】

大分郡片島 辻堂の阿弥陀様

大鶴村鐙鼻から3丈3尺(約10メートル)増水。堤防は決壊し、人家は流出。死者多し。

大雨による洪水により、臼杵封内の溺死94人。牛馬の死88頭。田畑の損耗高は40148石あまりになった。

大雨による洪水が起きた。

7月30日の未明に雨が強くなり高潮の影響もあり家屋が水に浸かった。家が傾いたり倒壊するものもあった。川上の村の家屋や農具、家畜や人の死体も下流に流れてきて海に散乱した。川の水量は通常よりも2丈あまり高かった。

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