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被害【昭和53年7月干ばつ】耶馬渓町柿坂字木崎の耶馬渓ダム建設現場

発生期間 昭和53年9月20日-昭和53年9月20日 |災害番号:008850|固有コード:00885004

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災害の種別
大雨 干害
市町村
中津市

概要(被害)

耶馬渓町柿坂字木崎の耶馬渓ダム建設の取り付け道路工事現場で土砂崩れがあり、作業員8人のうち5人が生き埋めになった。

概要

九時二十分ごろ、高さ七メートル、幅十メートルほどのだ円形にがけの土砂が崩れ落ちた。
二十日朝、耶馬渓町柿坂字木崎の耶馬渓ダム建設の取り付け道路工事現場で土砂崩れがあり、作業員八人のうち五人が生き埋めになった。近くにいた同僚らが助け出し、町内の病院に運んだが、三人が死亡、二人が重軽傷を負った。

【出典:大分合同新聞 1978年9月20日 夕刊11面】

同日の段階では、直接の原因は一九日夜から二五ミリの降雨があり、耶馬渓特有の凝灰岩の層の間に水が入り、一・五メートルの層が〇ばなれする格好でどさっと落ちていることが分かった。

【出典:大分合同新聞 1978年9月21日 朝刊1面】

災害概要

6月:県下全般に雨が降り、一部の地方では平年を下回ったところもあった。

7月:1日に梅雨前線が北上してからは、7月中旬後半と下旬後半の数日をのぞき異常高温であった。雨量は、県南部の-部をのぞき平年の25~50%で、特に国東半島付近では非常に少なかった。上旬:太平洋高気圧に覆われて、一部の地方でにわか雨が降った程度であった。中旬:11~13日は太平洋高気圧の周辺部で、大気の不安定による強いにわか雨の降ったところもあったが、その後は太平洋高気圧に覆われて雨も少なかった。下旬:中旬に引き続き太平洋高気圧に覆われにわか雨が少なかったが、28~31日は、台風第8号の間接的な影響で、主として県の南部・中部で雨が降り、特に29日は南部で雨量が多かった。

8月:気温については、特に特徴はなかった。雨量は7月に引き続き少なく、一部の地方では、平年の50%を上回ったところもあったが、全般に30〜50%で、特に国東半島及びその周辺部では30%以下の雨量であった。上旬:1~3日は、台風第8号が九州を斜断して雨が降ったが、台風が弱く小型であったため、大雨にはならなかった。その後は、太平洋高気圧に覆われ、ところどころで熱雷によるにわか雨が降った。中旬・下旬:太平洋高気圧に覆われたため、ところどころで熱雷によるにわか雨、大気の不安定による雨が降ったが、県内全域にわたるような雨は降らなかった。

9月:気温は高めに経過し、雨量は7・8月に引き続き少雨傾向であった。上旬:4~5日は前線の影響などで雨が降り、県南部で50~70ミリに達したところもあったが、県北部・中部では10ミリ前後であった。10日は寒冷前線の南下で多いところで15ミリ程度の雨が降った。中旬:15日は台風第18号が福岡県の沖合を通ったが、期待される程の雨は降らず、一部の地方で50ミリを若干超えた程度であった。19〜20日は寒冷前線の南下で北部・中部を中心に20~40ミリの雨が降り、若干水不足は解消した。下旬:秋雨前線が九州南海上に停滞する日が多く、前線は27日から北上し、29日は前線上を低気圧が九州を通り、28~29日にかけて県下全般に40~100ミリの雨が降り、北部・国東半島では50~80ミリの雨が降り、7月から続いた水不足は一応解消した。

大分合同新聞、西日本新聞、大分県の情報などから、県内の被害状況を、次に追ってみる。
7月22日:大分・別府市の簡易水道を使用している一部地域で、給水制限が始まる。25日には大野町の一部でも給水制限が始まる。
7月27日:豊後高田市・西国東郡で水田のひび割れや、農作物に被害が出始め、県・農協関係で対策をねり始めた。
8月10日:国見町・安岐町・武蔵町・国東町・姫島村で水田にひび割れが生じ、稲が枯れ始める所が多くなり、干害はしだいに深刻になる。みかん・野菜などにも影響が出始める。8月20日:姫島村の村営簡易水道では、22日から1日3時間半の給水予定、また、豊後高田市や真玉町の一部でも、生活用水の不足が出ている。
8月26日:山香町の一部地区で23日から給水制限を始めた。国東半島のため池はほとんど干上がる。
8月31日:29日から保戸島の簡易水道では、12時間給水となる。杵築市の一部で生活用水が不足し、給水車が出動し始めた。
9月2日:県農政部の1日現在でのまとめでは、国東半島一帯の干害は、徐々に周辺地域へと広がり、宇佐市・郡でも出始め、被害総額は20億1,600万円となった。8月末から国見町・武蔵町・豊後高田市・杵築市などで雨ごいが始まった。また、人工降雨の第1回実験が2日に実施され、この後も2・3回実施された。保戸島への飲料水の運搬が始まった。9月5~7日:別府市・大分巿でも水稲・陸稲・野菜に被害が出始める。また、三光村・佐賀関町の一部でも被害が出始めたことがわかった。7日現在、宇佐平野の日出生ダムで満水時の5.4%、日指ダムで14%となる。
9月27日:県農政部が27日現在でまとめた県内の農作物の総被害額は、36億515万円となった。被害が大きかったのは、豊後高田巿・国東半島・日出町・宇佐市など。

【出典:大分県災異誌 第4編(昭和46年~55年)(1981.12)】

災害データ

死者・行方不明者数
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負傷者数
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住家全壊/全焼数
戸(棟)
住家半壊/半焼数
戸(棟)
住家一部損壊数
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床上浸水数
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床下浸水数
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道路被害 ※事前通行規制は除く
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橋梁被害
-
山・崖崩れ
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被害総額
3,696,052 千円

主な被害

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島の簡易水道では、12時間の給水制限となる。

7日現在、貯水率は満水時の14パーセントだった。

7日現在、貯水率は満水時の5.4パーセントだった。

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