大分県災害データアーカイブ|大分大学減災・復興デザイン教育研究センター(CERD) NHK大分放送局 × 大分大学減災
復興デザイン教育研究センター(CERD)

災害【昭和57年5月干ばつ】

発生期間 昭和57年5月-昭和57年7月上旬 |災害番号:009260|固有コード:00926000

災害の種別
干害
市町村
別府市

概要

太平洋高気圧の勢力は平年に比べ弱く、一方、期間中、大陸高気圧か移動性高気圧となって九州付近を東進し晴れる日が多かった。このため、大分地方気象台は、5月27日「晴天続きの天候に関する情報」を発表した。6月13日に九州北部地方は梅雨入りしたが梅雨前線はしばしば沖縄付近に停滞して活動が弱く、また、九州南岸まで梅雨前線が北上し低気圧が通過しても、県下の降水量は少なく、しかも天気の回復も早かった。この傾向は7月上旬まで続いた。月別に少雨等の状況をみると 5月:大分市では5月7日から28日までの22日間無降水が続いた(0.0ミリ:13日・17日・24日、0.5ミリ:14日)、月降水量は大分市で62ミリで平年比39%、県内全域では平年比の40~60%であった。また、大分市の月平均気温は19.3度で「月平均気温の高い方の値」の順位としては累年第1位を記録した。また、13日には5月の日最高気温の累年第1位の31.9度を観測した。6月:月降水量は、日田市で平年比20%の66.0ミリで累年第1位の記録となったほか、大分市で106.5ミリと平年比37%、県下全域では平年比20~60%と少なかった。7月:6月24日から7月4日まで11日間無降水が続くなど7月上旬も少雨となり、上旬の降水量は大分市で平年の19%、日田市で平年の23%であった。県庁内には農作物干害対策本部を設置した。

大分合同新聞、西日本新聞から抜粋した各地の被害状況は次のとおりである。
6月17日:奥別府の志高湖では、降水量が少ないうえ湖水を田植用として水田に引いているため干上がり始め、6月始めからボー卜の営業を中止している。
6月29日:国東町など水不足で130ヘクタールの水田で田植が出来ない。
7月1日:中津市水不足深刻、山国川の水位が日に日に低くなる。
4日:国東町44ヘクタール、杵築市35ヘクタール、日出町8ヘクタール、このほか天瀬町、日田市、耶馬渓町、本耶馬渓町、院内町などでも一部で田植が出来ない水田がある。佐賀関町も町民に節水を呼びかけ深刻な水不足。
5日:中津市22時から5時まで夜間給水制限を実施。(9日解除)山国川で今年のように水が少なくなったのは、明治37年の大干害以来。
6日:県は5日県庁内に農作物干害対策本部を設置、中津市も設置。
8日:杵築市干害対策協議会を6日設置。
9日:日田市農作物干害対策本部を8日設置。
10日:県干害対策本部がまとめた9日現在の県下の田植え状況は、国東地域を中心にまだ43.51ヘクタールが水不足のため田植ができていない。宇佐平野の水不足いぜん深刻。
11日:真玉町、特産スイ力枯死寸前。県農政部のまとめによると、7月10日から14日の雨で県下各地の河川やかんがい用ダムの水量は回復、貯水量が激減していた国東半島のため池も満水時の50%までもどり、渇水の心配はなくなった。このため国東半島や日出町などで遅れていた田植は12日までにほぼ終了。生育が懸念されていたハウスや露地の野菜にも十分な水を確保する見通しがたった。(14日西日本新聞・県)

【出典:大分県災異誌 第5編(昭和56年~平成2年)(1991.12)】

災害データ

死者・行方不明者数
-
負傷者数
-
住家全壊/全焼数
戸(棟)
住家半壊/半焼数
戸(棟)
住家一部損壊数
-
床上浸水数
-
床下浸水数
-
道路被害 ※事前通行規制は除く
-
橋梁被害
-
山・崖崩れ
-
被害総額
-

主な被害

マップを見る

高気圧に覆われ、雨が少なかったうえ、湖水を田植用として水田に引いているため、干上がり始め、6月始めからボー卜の営業を中止している。

災害一覧に戻る