災害【昭和33年5月干天】
発生期間 昭和33年5月下旬-昭和33年8月下旬 ) |災害番号:006420|固有コード:00642000
- 災害の種別
- 干害
概要
5月22日には低気圧が九州南方を通過し、多いところで数ミリ程度の雨が降ったが、低気圧の通過後前線は南方海上まで南下したため、その後は晴れの日が続いた。
4月6日から7日にかけてと、6月11日には梅雨前線が北上して低気圧が通ったが、県一の北部では40~60ミリ程度の雨しか降らなかった、その後、梅雨前線は再び南下して晴天が続いた。6月末から7月のはじめにかけて前線は対島海峡付近まで北上したが、県の北部では多いところで20ミリ程度で雨量は少なく、7月上旬の後半は夏型の気圧配置になって晴天が続いた。
7月下旬に入って前線は一時対島海峡に南下したが雨量は少なく、7月末から8月はじめにかけて再び前線が南下して60ミリ前後の雨が降り、一息ついたと思われたが、ふたたび夏型の晴天になり干天が続いた。8月13日がら14日にかけて通過した低気圧の雨で長い干天はやつと解消した。今回の5月下旬~8月上旬の降水量は平年量の30パーセント前後で、昭和14年以来の大干天であった。
大分県は干害対策本部を設置し、8月2日ついに耶馬渓から国東半島上空一帯で人工降雨の実験を行なった。
大分の降水量は4~5月は平年よりやや多目であったが、6月に入ってから雨が少なく、6月11日の雨を最後にほとんど雨らしい雨が降らなかった。
梅雨量は平年の半分以下となり、大分の7月の月降水量は11.2ミリで、当台創立以来の極少値となった。(第2位は明治26年27.6ミリ、第3位は明治17年39.3ミリ)
さらに7月30日、31日の最高気温は36.3℃を示し、これも極値となった。
【出典:大分県災異誌 第2編(1966)】
災害データ
- 死者・行方不明者数
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- 負傷者数
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- 住家全壊/全焼数
- 戸(棟)
- 住家半壊/半焼数
- 戸(棟)
- 住家一部損壊数
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- 床上浸水数
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- 床下浸水数
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- 道路被害 ※事前通行規制は除く
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- 橋梁被害
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- 山・崖崩れ
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- 被害総額
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