災害【昭和18年1月火災】
発生期間 昭和18年1月30日-
- 災害の種別
- 火災
- 市町村
- 九重町 臼杵市
概要
玖珠郡東飯田村字恵良の大火、30日午後3時40分頃出火、70戸全焼し山林2町歩に延焼。北海部郡臼杵町平清水の大火。30日午前3時30分頃出火。住家15戸、19棟を全焼(大分合同新聞記事)
【出典:大分県災害誌 資料篇(1952)】
災害データ
- 死者・行方不明者数
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- 負傷者数
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- 住家全壊/全焼数
- 89戸(棟)
- 住家半壊/半焼数
- 戸(棟)
- 住家一部損壊数
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- 床上浸水数
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- 床下浸水数
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- 道路被害 ※事前通行規制は除く
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- 橋梁被害
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- 山・崖崩れ
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- 被害総額
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主な被害
マップを見る製材所から出火、折からの強風に火の手は四方に延び、付近の警防団員の防火も手がつけられず、郵便局を消失、電信電話および警察電話線も焼き切って全くの通信不能になった。森、玖珠両町、南山田、野上各村の警防団員が応援に駆けつけたが、午後7時半ごろには70戸を全焼、さらに火の手は山林に延焼、2町歩くらいを全焼、なお盛んに燃えつつあるが、一応延焼は食い止めたらしい。消防中、重軽傷者6、7名を出している模様であり損害は未だ不明だが、原因は製材所のストーブの煙突の火が軒に吹き付けたものであるらしい。
【出典:大分合同新聞 1943年1月31日付朝刊3面】
木履会社の工場から出火、町警防団がすぐに出動し消火に努めたが火の勢いが激しくみるみる付近一円に燃え広がり大事に至ったが、警防団必死の防火作業により15戸19棟を全焼して、31日午前3時半に鎮火した。罹災者は家財道具を搬出する暇なく無一文の状態になったので町当局は救済に万全を期している。なお、臼杵商業学校の教諭の男性は31日午前10時半ごろ生徒を指揮して焼け跡の整理作業中に土蔵の壁が落下して下敷きとなり右足、顎に重傷を負った。
【出典:大分合同新聞 1943年2月1日付朝刊3面】