被害【昭和47年7月台風第9号】東国東郡安岐町下原 大分空港
|災害番号:008090|固有コード:00809003
- 市町村
- 国東市
概要(被害)
滑走路にゴミが打ち上げられ、使用不能になり25日まで欠航した。
災害概要
マーシャル諸島付近にあった弱い熱帯低気圧が7月9日3時には台風第9号となった。15日ごろまではマーシャル諸島付近を西に進み、次第に発達して、15日9時には中心気圧950ミリバールとなった。その後北西に転じ、20日9時には小笠原諸島の東海上に達した。それから、本州の南海上を西に進み、22日21時には潮岬の南南東およそ450キロの海上に達し、中心気圧970ミリバール、25メートル以上の暴風半径は250キロとなり、再び進路を北西に変えはじめ、23日9時には大分県の南東およそ400キロの海上に達した。12時には中心気圧は970ミリバールと変わらず、25メートル以上の暴風半径は90キロに狭くなったが、1時間に30~35キロの速さで接近し、20時ごろ、大分県と宮崎県の県境付近に上陸した。21時から22時にかけて大分市付近を通過し、23時には中津市付近、24日0時すぎには下関付近をへて日本海に出て北上し、24日の15時には弱い熱帯低気圧になった。大分地方気象台の観測では、23日14時すぎから風が次第に強まり、20時から21時の間がもっとも風雨が強く、20時40分に最大風速北北東の20.3メートル、20時35分に最大瞬間風速25.2メートルを記録した。その後風は次第まったが、24日2時すぎまでは、瞬間風速で12メートル程度吹き続いた。雨は19時すぎから急に強まり、24時にはかなり弱まった。1時間最大降水量は32.5ミリで、20時から21時の間に降った。最低気圧は21時11分に974.4ミリバールを記録した。
台風通過に伴う各地の気象変化:
(1) 南海部郡蒲江町では、19時10分から風が弱まり雨も小降りになった。20時10分から再び雨が強まり、風も20時10分から強くなった。風向変化は北北東→北西→南西
(2) 佐伯市では、20時から約20分間、風雨が全く止み、風向は北東→東→南南東に変った。
(3) 大分市では、平均15メートル前後吹いていた北北東の風が21時に急に弱まって1メートル程度になり、雨も急に弱まった。21時25分ごろ再び風が12~13メートルに強まり、雨も強くなった。なお、大分市の南西7キロの賀来地区では、21時17分から約3分間、南方の空に月が見えた。
(4)中津市では、22時50分ごろから約20分間無風伏態となり、風向は北→東→南南東に変化した。
台風の特性:
(1) 台風の中心が大分県を縦断したが、暴風雨の半径が小さく、進行速度も速かったため、激しい風雨の継続時間は長くなかった。(19時~24時)
(2)雨は県の南部及び中部が多く、県西部の日田地方は少なかった。
(3)台風の通過後も太平洋高気圧の勢力が弱く、沖縄付近から台風7号が北上したため、天気の回復は遅れ、大分県では24日、25日にも強い雨が降った。
【出典:大分県災異誌 第4編(昭和46年~55年)(1981.12)】
今回の台風と同じくらいの強さでほとんど同じコースを通った昭和38年8月9日の9号台風は、速度が遅く、県下を6時間以上かかって通過し、しかも大型であったため、3日間の雨量は由布院周辺で600ミリ以上に達し、沿岸では高潮も起った。このため、県下全域に、死者4名、建物全壊7棟など大きな波害があった。
今回の台風9号は、これより小型でしかも速度が速かったため、風は強かったが、雨量が比較的少なく、被害総額も昭和38年に比べて少なかった。被害は、ほとんど中部以南の沿岸部に発生した。23日の20~21時に、県下の沿岸部では、最大瞬間風速が33メートル前後に達し、津久見市保戸島で住宅が全壊したほか、各地で強風による建物の波害があった。南部では満潮時に近かったため、台風による海面の上昇や大雨と重なり、佐伯市や大分市などで床下浸水があった。
また、大雨によるがけ崩れなどの被害もあって、道路は、各地で交通止めとなり、海と空のダイヤも大きく乱れた。大分空港では、高波のため滑走路にゴミが打ち上げられて使用不能になり25日まで欠航した。鉄道の施設には被害がなかったが、暴風雨のため、全線で列車が遅延した。電話は1,200回線が不通になり、23日夜は48,000戸が停電になった。台風が通り過ぎたあとの24日も、夕方ごろまで断続的に強い雨が降り、佐伯や佐賀関などで再び浸水やがけ崩れがあった。
河川の水位は、24日の17時30分、竹田の稲葉川で警戒水位に達した。番匠川では24日14時、指定水位を37センチ越えた程度であったが、佐伯市木立地区などの小河川では堤防が決壊したり、浸水家屋が出た。農作物関係では、佐伯、宇佐、中津など沿岸部を中心に水稲、野菜、果物などの被害が9億円余、県下総被害額は19億円余りであった。(大分県調べ)なお、県災害対策本部は23日17時から24日12時半まで設置された。
【出典:1972/7/23 21:00の天気図】
災害データ
- 最低気圧
- 979.4hPa
- 最低気圧観測地
- -
- 最低気圧観測日時
- 1972/7/23 21:11
- 最大風速の風向
- 北北東
- 最大風速
- 20.3メートル
- 最大風速の観測地
- 大分
- 最大風速の観測日時
- 1972/7/23 20:40
- 累積最大降水量
- 300ミリ
- 累積最大降水量観測地
- 津久見
- 日最大降水量
- 174ミリ
- 日最大降水量観測地
- 津久見
- 最大日降水量の観測年月日
- 1972/7/23
- 最大1時間降水量
- -
- 最大1時間降水量の観測地
- 大分
- 最大1時間降水量の観測年月日時間
- 1972/7/23 21:00
- 死者・行方不明者数
- -
- 負傷者数
- -
- 住家全壊/全焼数
- 4戸(棟)
- 住家半壊/半焼数
- 3戸(棟)
- 住家一部損壊数
- 28戸(棟)
- 床上浸水数
- 110戸(棟)
- 床下浸水数
- 849戸(棟)
- 道路被害 ※事前通行規制は除く
- 292か所
- 橋梁被害
- 4か所
- 山・崖崩れ
- 16か所
- 被害総額
- 1,915,747 千円