大分県災害データアーカイブ|大分大学減災・復興デザイン教育研究センター(CERD) NHK大分放送局 × 大分大学減災
復興デザイン教育研究センター(CERD)

災害【昭和42年7月干ばつ】

発生期間 昭和42年7月中旬-昭和42年10月上旬 |災害番号:007460|固有コード:00746000

災害の種別
干害

概要

8月に入ってからまとまった雨がほとんど降らず、それに高温と日照り続きのため、蒸発量が多く、各地の溜池や農業用水が枯渴し、農作物の干害が始まった。10月25日の夜から降りだした台風34号の雨で長かった干天が終わった。県では8月26日干害対策本部を設置し、10月28日同本部を解散した。農作物の被害額は131億円あまりにのぼった。

昭和42年の異常気象の特性は
(1) 暖候期の降水量が異常に少なかった。大分の5月〜9月までの5か月間の連続降水量(531ミリ、平年比50パーセント)についても少雨の記録となった。県内でも大野川流域から国東半島、山国川流域にかけて平年の50パーセント以下、特に、安心院、三重地区では40パーセント前後であった。
(2) 無降水期間が長く続いた。日降水量の5ミリ以下の継続日数は大分で66日(7月27〜9月30日)も続き、8・9月の降水日数が少なかった。
(3) 高温が続いた。大分で5月〜10月まで各月とも平年より高く、最高気温の月平均は5月23.9度、8月28.1度は第1位となり、9月の29.2度は3位であった。30度以上の継続日数48日(7月26日〜9月11日)は第1位であった。
(4) 湿度が低かった。5月〜10月までの月平均湿度は平年より低い。6月74%、8月74%、9月70%はいずれも第1位であった。
(5) 月平均気圧が低かった。

【出典:大分県災異誌 第3編(1975)】

8月に入ってからは雨らしい雨がほとんど降らず、それに連日30度をこえる高温のため、蒸発散量が多く、異常渴水状態が続いた。
県内各地のため池などの農業用水は枯渴し農作物の干害がではじめた。
このため、高田地区では8月17日に県下に先がけて干害対策本部を設置し、8月下旬になってからは県当局をはじめ、県下のほとんどの地区がこれに従い、9月の初めには佐伯と竹田地区がこれらに続いた。
結局、10月26日の夜から降った台風34号の雨で長かった干天が終り、県では10月2 8日に干害対策本部を解散した。
この台風の雨は稲作期間にまにあわず、かんがい水の不足地帯では水、陸稲に大きな打撃を受けミカンや秋野菜も被害が大きかった。
農業用水ばかりでなく、表流水や浅井戸などを水源とする水道は水不足が深刻になった。 上水道地区の豊後高田市や杵築市、それに簡易水道を備えた津久見市、臼忤市、忤築市、香々地町、国見町、安岐町、院内町、玖珠町、蒲江町、佐伯市や湯布院町などの1、2の部落内では飲料水の不足が目立った。
とくに、豊後高田市、佐伯市,玖珠町や湯布院町では自衛隊の給水斑が出動し、給水作業を行なった。
この間関係当局は、農作物に対する技術対策をたてたり、さく井、井路の掘さく、揚水機、原動機の購入など、用水の確保に努めた。

【出典:大分県災異誌 第3編(1975)】

災害データ

死者・行方不明者数
-
負傷者数
-
住家全壊/全焼数
戸(棟)
住家半壊/半焼数
戸(棟)
住家一部損壊数
-
床上浸水数
-
床下浸水数
-
道路被害 ※事前通行規制は除く
-
橋梁被害
-
山・崖崩れ
-
被害総額
-