災害【昭和13年2月林野火災】
発生期間 昭和13年2月8日-
- 災害の種別
- 森林火災
- 市町村
- 佐伯市
概要
南海部郡蒲江浦の失火
2月8日午前9時頃国有林伐採跡の雑草を焼くため、青年団、消防団が火入れをしたところ強風により火が広がり、焼死者7名、重傷者5名を出した(大分合同新聞記事)
【出典:大分県災害誌 資料篇(1952)】
事故発生の場所は、蒲江港の東南1.5キロメートルの峻嶺起伏する南海部郡蒲江町大字蒲江浦字壇の浦、無番地、同所は80余度の急傾斜面であって、作業困難のためか、現在まで何等の植林なく元や一面に点々と生ゆる小松の外、スス竹、萱、■等繁茂し居る、所謂藪山である。
ここに目をつけた県林務課においては客年来該地域内に造林の計画を立てたるが、何分同所は前記の如き、地勢の関係上、人手を以て雑草木の刈取りを行うは到底困難なるを以て焼却することとなしたり。
然るに当時蒲江町消防組においては消防被服の改善並びに基金造成の目的を以て組員協力よく各種事業を行い居た時とて、県林務課に斯る計画あるを知るや之と交渉、200円にて焼却ならびに跡片付けまでを請負、2月4日付所轄佐伯署の許可を受け、いよいよ2月8日午前9時から火入れをすることになった。しかしながら同町ご承知の通り漁師町であるため、野火入れに対して経験を有する者は極めて少なく、否皆無と言っても過言ではあるまい。従って当日はその慎重を期するため、消防組員80余名のほか、青年団員30余名の応援を求め現場に勢揃いしたがまず点火に先立ち火入れ地所のうち、東北方は太平洋に面し別に危険はないが、西南方はいずれも植林あり、南方は既に完全なる防火線を設定してあるも、西方(上部)は未だ防火線なきを以て同所の防火線を設定すべく、消防組員および青年団員20余名は80余度の急傾斜の原野に繁茂する雑草を押し分け、漸くにして目的地に達し、スス竹、枯萱等4尺以上も繁茂する雑草を約2間余の幅を以て伐採の途中、同火入れ地、中腹部に居た。組員は何等上部との連絡をすることなく、中腹部より点火したるため、折柄の北方の微風は点火数分後にして西方の強風と変わり、かつ太平洋の海風に煽られ、火焔は一瞬にしてこの高原を一舐にせんと、猛烈なる勢いを以て燃上し始めた。しかし上部にありて防火作業中の死傷者たちは地勢の関係上未だそれと気づかず、作業し居りしが、異様な物音を感知したるときは既に遅く、猛火は目前近く迫り居るを以て逸早く避難せんとしたるも、何分前記の如き急傾斜に加え雑草は繁茂し、かつこいしは散乱し居り、ために心は急れど足滑りして避難思うに任せず、右往左往、数分にして紅蓮の火焔は猛り狂う猛獣の如く着衣に点火しさながら生不動そのもののごとく一瞬にして悲鳴叫喚の修羅場と化した。
この悲惨事に驚きたる出動組員、青年団員は直ちに避難者の救出に従事するのほか、急を所轄佐伯警察署、町役場…警察署長は県警察部に即報するとともに折柄来佐中の、瀧衛生課長とともに署員を引率現場へ急行、下村消防組頭兼町長と協力対策に手をつくし、一方県当局よりは小林保安課長、県林務課、黒木技師は帯同現場に急行、救急に対し指揮に当たりたるが、ゴムのみ残る地下足袋など四散し、ニウム弁当箱は転がり、全身火だるまとなり、顔面手足は水泡を形成し、皮膚は剥脱糜爛、誰かを識別するに困難な焼死者、疼痛と飢渇を訴え、苦悶する重軽傷者累々たり、魂気迫りて群がる衆人鬼哭、啾々、実に直視する能わざるの凄惨を極め居り。
【出典:大分県消防第62号(大日本消防協会大分県支部,1938)】
災害データ
- 死者・行方不明者数
- 11人
- 負傷者数
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- 住家全壊/全焼数
- 戸(棟)
- 住家半壊/半焼数
- 戸(棟)
- 住家一部損壊数
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- 床上浸水数
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- 床下浸水数
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- 道路被害 ※事前通行規制は除く
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- 橋梁被害
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- 山・崖崩れ
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- 被害総額
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